おいしい桃

スーパーに入ると、「おいしい桃、たくさんあります」という張り紙が掲げてあって、その下には2つで980円の桃と2つで580円の桃が並んで売っていた。大した違いもわからないだろうから、迷いもなく580円の桃を買って、家で食べた。

スーパーの張り紙通り、しっかりと「おいしい桃」だったが、もっとおいしい桃があるのを私は知っていた。

なぜなら、さっき食べた桃より、おいしい桃を食べたことがあるからだ。それは夢の中だったが、おいしい桃には変わりなかった。場所は通っていた中学校の技術室だった。のこぎりだとか、木を固定する台だとか、色んなものが積まれて置いてあって、その部屋の中央に桃が沢山入ったダンボールがあった。桃の形は絵に描いたように美しく、見事な曲線で桃のあの形を作っていて、見るからに美味しい桃だったし、皮を剥く前から桃の香りが部屋中に立ち込めていて、それはまるで桃源郷にいるようだった。一つの桃の大きさは、やっと両手で持てるくらいの大ぶりで、甘い蜜を目一杯に含んでいるからか、それなりの重さだった。

不思議なことにそこに職場の同僚たちがいて、有無を言うことなく、手分けして私のために桃を剥いてくれた。「美味しい?」だとか「お腹はいっぱいになった?」だとか、そんな気遣いをも忘れることなく、さっさと桃を剥いては、食べさせてくれた。ちなみに、綺麗に巻かれた桃は、種がなく乳白色でみずみずしかった。それに加えて、ほどよい甘さで、際限なく食べられた。幾つ食べたか分からないし、わたしがお腹いっぱいになったのかは定かではないが、夢は、いつの間にか終わっていて、目が覚めたときには、頭がぼうっとした。

あれ以来、私は心のどこかで美味しい桃をいつだって求めている。実際に食べたわけではないが、あの桃を超える桃に出会いたいと思っているし、出会わなければならない気がするし、出会わせてもらわないと困る。それがどういう理由で困るのかは説明し難いが、それはもう困ってしまうのだ。

もちろん、現実で食べる桃も美味しくないはわけではない。だが、それ以上に美味しい桃を夢の中で食べてしまった為に、きっと私はこれから、美味しい桃に出会うまで、生き血を求めるヴァンパイアの如く、俗世を彷徨い続けるのだと思う。

桃源郷という言葉があるように、桃は仙境の象徴で、幸せというものを含み持っている気がするから、もしかしたら私は、おいしい桃自体ではなく、この上なく、おいしい幸せを探しているのかもしれないが、それは、あの夢以上に美味しい桃を食べないことには答えは出ないだろう。

だから、おいしい桃を見つけたら、ぜひ連絡をください。

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