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起業に至る話-神が与えた偶発的プロセス 『娘と息子に遺す父の挑戦〜人生を探求して見つけたこと〜』

 2017年4月に、縁もゆかりもない静岡市の校長に赴任した。
「なんで静岡市?」「なんで小学校?」「まして小規模校?」どこかプライドが揺るがされていた。
 反面じっとしていられないいつもの自分が発動し、自分に何ができるのか模索も始まった。
 ある時新任校長研修会で、先輩校長の実践が語られた。講師は山下大里中学校校長という人物。実践内容も頭抜けていたけれども、使う言葉、変革を起こすような躍動感に虜になり、もっと話を聞いてみたくて個人的に連絡をとった。あとで振り返ると、これが全ての始まりだった。 

山下さんとの出会いが旅の始まりだった

 大里中を尋ね山下さんと話す中で、麹町中学校の工藤校長の学校改革の話を聞いた。早速調べてみると共通の知人(堀田教授)がいることがわかり、堀田くんのアシストを得て麹町中学校を訪問できることになった。
 そしてそこから次々と新たな道が展開されていった。
 この頃の私は、直感に引っかかると、すぐにアクションを起こし、身体を動かしていた。

→2017年11月麹町中訪問
 工藤校長の改革の話から「クエスト」の存在を知る
→2018年2月クエストカップを見学
 発動する生徒の姿に大きな未来を感じる
→すぐに教育と探求社に連絡
 越境トークセッションに参加。宮地社長と出会う
→宮地さんのSNS投稿でTIの募集を知り3期生として研修申込
→2018年8月キックオフ合宿参加
 自分は何者なのかを考える
→研修課題の実践
 学校と企業の枠を超えて対話する「越境ミーティング」を始める
→2019年1月
 越境ミーティングでクエスト体験研修を実施
→2019年2月
 プログラムに共感した山下さんと一緒にクエストカップを見学
→カップの帰り道
 「静岡でやるしかない」と勢いで、大事なことがなんとなく決まった

直感に従ってアクションを起こす

 2019年4月、心のどこかで迷いがありながらも、あと1年で退職して静岡でプロジェクトを起こそうと決めて、交流人事最後の1年が始まった。
 ※静岡県採用の私は、人事交流で3年間の期限付きで静岡市に赴任していた。 

 交流人事だったので現任校での任期は2019年度限りと決まっていたので辞めるには支障がなかったが、教育委員会を跨いでの人事、静岡県教育委員会、焼津市教育委員会、静岡市教育委員という3つ巴の複雑な立場にいたので、簡単に辞められるわけでもないと想像していた。 
 管理職の人事は早くから動くので、なるべく迷惑をかけないようにしようと、夏から教育委員会回りを始め、辞める意向を関係者に丁寧に説明していった。 
 
 9月のある日の夕方、焼津市の上席から電話がかかってきた。
 8月に話した際「私は目の前のことしか目に入らず四苦八苦しているのに、君は未来を見ていてすごいね。」と、私の決断に共感してくれた人だった。
 ところが受話器から聞こえてくる言葉は「君が考えていることはとんでもないことだ」「教育長に恥をかかせるつもりか」などなど、8月とはあまりにもかけ離れており、一気に人間不信に陥り、息が苦しくなった。 
 後から考えれば、この方も立場で対応していたのだろうとは思うが、この時はこれまで感じたことのないような憤り、不信、悲しみが込み上げ、話半分に電話を切らせてもらった。
 一人になって泣き叫びたい思いで、すぐに校長室を出て帰路につこうと思った。

その瞬間娘からLINEが入った。
「いま話せる?」
 LINEでやりとりしたいことがあるのかと思い、「できるよ」と返信したところ、すぐにLINE電話がかかってきてしまった。
 やばい、こんな精神状態で話なんてできない、と思いつつ「できるよ」と返信したからには出るという選択しかなかった。

 「あのさあ、今度行われる研修の課題で、圧倒的当事者意識のある人の根底にある考えについてインタビューすることを指示されたんだけど、自分の中で圧倒的当事者意識がある人って考えたらパパが思い浮かんだ。だからインタビューさせてもらってもいい?」

 先ほどの電話で受けた憤り、不信、悲しみにまみれた今、そんな自分を支援するかのような娘の「圧倒的当事者意識」という言葉に泣き崩れてしまいそうだった。
 でもどうにか父親としての自分がそこにいてくれて、なんとか言葉を続けていくことができた。
 娘のインタビューの最後の問いは「これからの私たちに何かアドバイスをもらえますか」だった。
 そこで自分が自然に出てきた言葉は、「・・・自分がやろうと思ったことは、周りを気にして忖度したり空気を読んだりするのではなく、思い切って挑戦してみてほしい。・・・」だった。

父の背中を見せるという誇りが支えてくれた

 なんとか娘のインタビューには答えることができ帰路についたが、徐々に先ほどの憤り、不信、悲しみにまみれた自分が立ち上がったので、車を止めて妻に電話した。
 教育委員会とのやりとりで何があったのか説明しながら嗚咽した。おそらく胸に刺さってしまった言葉、その奥にある相手の建前にまみれた考えに、教育の現実を見てしまった悲しい嘆きからだろう。
 仕事帰りで買い物などの雑多な中、この時は妻も車を止めてゆっくりと話を聞いてくれた。
 いま思えば、この時妻に嘆くことができたこと、受け止めてもらえたことが、娘との電話に輪をかけて自分の中にさらに変化を起こしたのだろう。
 
 図ったように凄いタイミングで起こった出来事だったが、話はこれで終わらず、実はこの出来事がこの後の大きな活力になっていった。

 妻に話して落ち着きを取り戻したので、プロジェクトの進捗の確認をしようと、山下さんのところに立ち寄った。
※プロジェクトとは、大里中学校をモデル校に、クエストプログラムをトライアルで実施しようと考えており、その参画企業を模索していた。

 なかなか参画企業が見つからない状況ではあったが、この日山下さんから出てきた言葉は「やっぱり無理だよ。お金出して参画してくれる企業が見つからない。大里中の2年生をこれ以上待たせるわけにはいかないので、無料でできる別プログラムをやってもらおうと思う」だった。

 きっとこの日、私に何も起こっていなかったら、私の中に若干眠っている「辞職への不安」も後押しして、山下さんの言葉に賛成していただろう。
 そしてその流れで、辞職することを辞めたかもしれない。
 
 しかし、この日私に凄いタイミングで起こった出来事が、私の背中を押した。
「何言ってるんですか、ここで諦めるんですか。もう一回企業を洗い直して、ターゲットを絞って当たってみましょうよ」
 我ながら、凄い勢いで山下さんを鼓舞するような発言だったと思う。

 そして数日後、トヨコーとの出会いがあり、間も無く企業が4社揃って、念願のクエストプログラムが実施できることになった。
 この年の秋、一般社団法人シヅクリを正式に立ち上げ、モデル校トライアルとともにプロジェクトが幕を開けた。

 いま思い返しても、運命の1日だった。
 何かの物語で読んだことがありそうなくだりだが、本当に凄いタイミングで、しかも運命を決める順番で出来事が起こった。

不思議な力に導かれている

 後に知ることになるのだが、「サムシング・グレート」という考え(村上和雄氏の教え)がある。
 懸命な努力、自分を信じる心、やり遂げる強い志があれば必ず天や運が味方してくれるというものだ。
 決して自分はそこまでの努力や強い志があったとは思えない。
 もしかしたら自分の中の細胞にはそうした志があったのかもしれないが。。。

 でもこの時は、まだ辞職することが半信半疑であった自分に対して、神様が道をつくり私に成すべきことを与えてくれたように思った。このプロジェクトを遂行していくことが天命なのだと。
 果たすべき大きな仕事を神様が自分に与えてくれた、そんなふうにいつもの妄想が働いて、自称「神の子」は走り始めたのだった。

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