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【マチメグリ】HBPワールドツアー訪問記:有賀編『自治のありかたと、その持続可能性について』(2018/6/25公開)

4月23日(月)~5月13日(日)までの3週間、社員研修として、ドイツ・デンマークへのワールドツアーに行ってきました。
その様子をレポートにしてお届けします。
第2弾は、有賀によるベルリン・ホルツマルクルト、ハンブルグ・シュテルンシャンツェ、コペンハーゲン・クリスチャニアの3つの自治的地区を取り上げたレポートです!

東西分裂、合併の中で生まれた音楽文化と自由空間:ベルリン・ホルツマルクト
今年の4月末~5月中旬の3週間、インプットのために海外研修でドイツのフランクフルト、ハンブルグ、ベルリン、ドルトムントとデンマークのコペンハーゲンに行ってきました。
有賀のパートでは、「自治とまちの魅力の関係性」をテーマに文化、政治、ライフスタイルなど様々な背景による自治エリアの魅力と課題を通して自然発生的な都市の魅力のありかたについてレポートしたいと思います。

一つ目に紹介するのはドイツのベルリンにあるホルツマルクトというギャラリー、アーティストレジデンス、飲食店、クラブなどで構成された協同組合によって運営されているエリアです。

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□ホルツマルクト

1990年の東西統合後、主に東ベルリンだったエリアでは所有者不明で使われていない土地や建物が多くありました。その場所でアンダーグランドな音楽イベントなどが行われ、それが現在に至るベルリンの音楽・クラブカルチャーになっていきました。
その中でも伝説的なクラブとされているのがBar25とよばれるクラブで、ホルツマルクトはそのクラブの跡地に紆余曲折を経て作られました。
Bar25は2003年に一台のワゴンから始まったクラブで、当初は荒れ果てていた市の所有地を使い夏の週末にパーティーを行っていました。それが次第にDIYでレストランやバー、シアターなどがつくられ、まさに自治エリアのような空間になっていったそうです。
しかし同時期、ベルリン市ではシュプレー川沿岸5地区で「メディアシュプレー」というメディア関連産業を中心とした事業計画が構想され、オフィス・商業施設の誘致がスタートしていました。この流れで対象地域にあるBar25も立ち退き要求を受けていました。
これに対して2006年にはメディアシュプレーに反対するデモが行われ、16000人分の署名が集められ、その結果地区選挙が実施され、新規建設に際し河岸より50m以上の距離をとること、地上22m以上の高さの高層建築を禁止すること、橋梁の建設を禁止すること、などの案が採択されました。(※この選挙結果は結局、計画には反映されませんでした。)

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□現在のシュプレー川沿い

Bar25自体は2009年にクローズしましたが、これらの流れを受けて1万人のデモが行われ、その結果この土地は入札にかけられることになりました。
2008年に都市創造協同組合という組織を設立していた、Bar25の中心メンバーたちは、スイスの年金ファンドの支援を受けて入札に参加し、18000㎡の敷地の75年間にもなる借地権契約を結ぶことになり、ホルツマルクトがつくられることになりました。
そして現在では、世界中の投資家から資金調達を行い、オフィスや農園、保育園、バー、ギャラリー、レストランにベーカリーなどがつくられたり、計画されたりしています。

【計画と場所の魅力】
実際にホルツマルクトを訪れてみると、かなりしっかりとデザインされてつくられているような印象を受けます。中にある川沿いのレストランもとてもきれいに作られており、おそらくもともとあったと推測される建物と比較すると、新たに作られているエリアはしっかりと計画されてつくられた印象を受ける空間でした。

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□整えられた印象の空間

計画では住居なども予定されているらしいですが、現段階ではあまり人が住んでいる雰囲気も感じられず、ほとんどの人がホルツマルクトに来たお客さんがというイメージ。
販売するビールの売り上げと賃貸料、クラブの入場料などが主な売り上げとなっているそうですが、年金機構や投資家によって資金提供されていることや、この空間を成立させるために必要な来場者数などを考えると、ある程度のテーマパーク的な設えが必要になってくるということかもしれませんが、手作り感や少し猥雑な雰囲気は薄れて、奥まった一部のエリアにしかそういった雰囲気は感じられませんでした。

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□手作り感を感じるエリア

実際にドイツ人の若者に聞いてみると、ホルツマルクトは観光地みたいじゃない?と言っていて、地元ではそういう捉えられ方もしているんだなと感じました。

しかし、一方で働いている人達は活き活きとしていて、その人たちのために保育園までも併設されています。日本ではこういったいわゆるカルチャー的な雰囲気の場所と保育園が共存することは想像しにくいけれど、ここで働く人たちの家庭環境を守るためにつくられており、それによってこの空間に生活感が灯されているように感じました。

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□こどもたちが遊んでいる保育園の庭      □遊具や砂場

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□多くの人で賑わうホルツマルクト

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一方、同様に川沿いにあるYAAMというレゲエミュージックのクラブがあります。こちらも、もともとあったイーストサイドギャラリー脇から移転を余儀なくされてしまいましたが、すぐ近くに移転し、ホルツマルクトと同様にエントランスフィーもなく、細い川沿いの小道を進んだ奥にはドリンクカウンターと砂浜が広がっており、こちらはホルツマルクトのような複合施設ではありませんが(入口周辺には飲食店舗などもあります。)、手作り感・ローカル感のある心地良い空間でした。

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【観光とローカル】
個人的には、雰囲気としてはYAAMの方が手作り感や自分たちのものという空気感が残っており好印象でした。ホルツマルクトは決して居心地が悪いわけではありませんが、計画されている整然とした印象を受ける所も多く、もともとあったであろう荒々しいイメージなどはありませんでした。
けれども、そもそも客を呼ぶ場であるということを考えれば、ある程度整理されたテーマパーク感が必要なのかもしれませんし、今後計画されている様々な用途が混在してくれば、それも薄れ、ホルツマルクト自体がひとつの町のようになっていくかもしれません。そうなれば今よりさらに魅力的な空間になっていく予感には溢れる場所でした。

【カルチャーの位置付け】
ちなみにベルリンでは、統合後の音楽カルチャーの拡大とともに。騒音問題といった近隣トラブルも多発し、それらの解決やクラブカルチャーの発信、価値共有のために2000年に業界団体がつくられました。それ以降、この団体を中心にクラブカルチャーがベルリンの魅力になっており、まちの価値やクリエイティビティに影響を与えているということを訴えてきました。
その結果、ベルリンはアートやクラブカルチャーの中心地として、スタートアップ企業やクリエイターが集まる街となりました。(現地の人によると既にベルリンは当時の雰囲気を失い、当時のような雰囲気の残るライプツィヒやリスボンに移住する人が増えているということでしたが。)
象徴的な出来事として、2年ほど前にベルリンのクラブの代表格といえるベルグハインが文化施設として認められ、本来EU内で課せられる付加価値税がエンターテイメント施設にかかる19%から、文化施設などに適用される7%に軽減されたり、昨年末にはクラブの防音対策などに100万ユーロを政府が拠出することが検討されたり、国としても音楽やクラブカルチャーを自国の文化として位置づけ価値を認めていく風潮が生まれています。

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□ベルリンのクラブ

政治思想と自治:ハンブルグ・シュテルンシャンツェ
2つめに紹介するのが、ハンブルグにあるシュテルンシャンツェというエリアにある「ローテ・フローラ」と呼ばれる劇場と後ろに広がる公園です。
シュテルンシャンツェは日本で販売されているドイツの観光ガイドブックでも若者が集まる街として紹介されており、アパレルショップやコーヒー、ビアパブ、ケーキ屋さんなどが立ち並び、多くの若者で賑わっているエリアです。

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□シュテルンシャンツェの街並み

「ローテ・フローラ」はこのエリア残る1889年に建てられた劇場の一部です。
劇場として使用された後に、第一次世界大戦後は工場になったり校舎になったりと用途が移り変わりながら使われていましたが、1988年に大部分が壊され、ファサードを残すのみとなりました。
その後まもなくオートノミズムの活動家たちにより占拠がはじまり、現在に至っている場所であり、政治的な意味合いから「ローテ・フローラ」と呼ばれています。
実際に訪れた時にもファサードには多くの政治的主張やスローガンなどが掲げられており、階段にはマットレスが並べられ、何人かの若者がたむろしているような状況でした。

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□ローテ・フローラのファサード

この劇場跡の背後にグラフィティで埋め尽くされた巨大なクライミングウォールとスケートボードパークなどがある公園があります。
ここは1991年に「ローテ・フローラ」を占拠している人たちが自主的に整備した公園でクライミングウォールになっているのは防空壕の跡だそうです。
実際に訪れてみると、子供連れで遊ぶ家族もいれば、ホームレスもいて、クライミングを楽しむ若者もいて、その横ではアーティストがグラフィティを書いていて、入り口の横のスケートボードパークでは小学生くらいの子供たちがスケートボードやMTBを楽しんでいる、実に様々な人たちの重なり合う、自由でおおらかな空間が広がっていました。

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□公園の中の様子

占拠されて30年程度経っていますが、その間ずっと自治されてきた公園はおそらく大きなルールもなく、自由な空間であるがゆえに様々な人が自己責任で好きに使う豊かな光景が拡がっているのだろうと思います。。
実際に例えばこのクライミングウォール一つとっても街中の公園で実現しようとすれば、安全性や、運営、その他の問題でハードルが高いことは想像に難くありませんが、これらが普通につくられ、使われています。

公認された自治区:コペンハーゲン・クリスチャニア
最後に紹介するのが、自治区といえばここというくらいに有名な場所「クリスチャニア」です。

デンマークの首都コペンハーゲンの中央駅から東に行ったクリスチャンハウンというエリアにクリスチャニアはあります。
クリスチャンハウンは運河に囲まれた、救世主協会などの歴史的な建物も多く残っているエリアでしゃれなカフェやレストランも多くある地区で、この一角にクリスチャニアはあります。

ここは300年ほど前に城塞が築かれた場所でその後にデンマーク軍の兵舎として使われていました
しかし第二次大戦後に使われなくなっていき、廃墟になったところに、次第にヒッピーたちが入り始め敷地の開放を求めはじめ、とうとう1971年に占拠されました。
翌年の1972年には電気代と水道代の支払いを条件に政府から権利を勝ち取り、政府はこの場所を「社会的な実験」と呼ぶようになり、その後紆余曲折を経ながら、ついには国会で自治が認められ不法占拠ではなく、自治区として正式に認められた場所です。

この場所は現在1000人弱の住人がおり、デンマークの法律ではない、独自のルールによって運営されています。

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□クリスチャニアの地図           □入り口の一つ

主なルールは9つで、「暴力禁止」、「ハードドラッグ禁止」、「自動車の通行禁止」、「犬を鎖につないではいけない」、「落書きOK」、「武器禁止」「防弾チョッキ着用禁止」「花火販売禁止」「盗品禁止」を定めています。
また2004年に一度大麻の販売が禁止されましたが、現在では先ほどのルールのように強い麻薬は規制されていますが、大麻は販売されていて、メインストリートともいえるプッシャー通りで販売されています。
ここまでの話では、大麻合法で不法占拠からの自治ということで、危険で閉鎖的な場所の印象を受けますが、住民たちの自治機能が働いており、例えば実際に新しい居住希望者は既存住民の合意が無いと住むことが出来ず、勝手に変な人たちが入ってきて住み着いてしまったりが起きないようになったいたり、全体に関わるような決め事は、住人たちで作られている組織で話し合って決められていたり、自治コミュニティがしっかりと機能しているおり、実際に訪れても穏やかな空気が流れています。なかにはその自治機能ですらも管理的に捉えて敬遠している住人もいるとのことでしたが。
また、住民の多くはクリスチャニア外に職をもっており毎日ここから通勤しており、小学校もエリア内には無いため、子供たちもクリスチャニアの外の学校に通い、1994年以降は税金も納めており、外ともつながりを持って生活をしています。
ちなみにクリスチャニア内の土地は、2012年に設立された「フリータウン・クリスチャニア財団」によって所有されているそうです。

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□中にある公園              □廃材などを使った工場

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□ゴミ収集車               □入り口には車止め

【観光地化する自治区】
5年ぶりに訪れたクリスチャニアは、当時よりも更に観光客が増えた印象を受けました、プッシャー通りも当時はもう少し閉鎖的だった記憶がありますが(記憶違いかもしれませんが)とても開放的で穏やかな雰囲気でした。5年前と10年前に訪れている妻によれば当時少なかった観光客がどんどん増えていっている印象だそうです。
プッシャー通りの入口にあるトイレも新しく整備されており、観光客向けもしくは観光収入によって、こういった整備が進んでいることもとても印象的で、観光客の増大に伴って必然的に観光地化が進んでいっている印象を受けました。前述のホルツマルクトとは違いベースが居住地なので、生活の印象や空気感はまだ残っていますが、観光客向けの店舗や看板、商品なども売られていて、こういった自治区でさえも消費の波に飲み込まれていってしまっているのではないかと寂しい気持ちにもなりました。

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□観光客の多いメインストリート

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□観光客向けの施設

【守るためのゾーニング】
けれども、そのような気持ちを持ちながら奥の住居が並ぶエリアに行くと、今まで感じていた印象とは異なり、当時と変わらず穏やかな空気が流れている住宅たちが現れました。
もちろん観光客はいますが、数も比較的少なく、外に開かれた住宅や整えられた庭などがここに根付いている文化や生活を感じさせてくれます。
ここに至って、この穏やかで豊かな日常生活を守るために、外との接点を持ち、一部を観光地化して収入を得ることによって自治を継続させているのだなということに気が付かされました。
観光地化されて収入を得る部分と自分たちの世界を守る部分をバランスさせながら守り続けていく意志のようなものを感じました。

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□穏やかな雰囲気の住宅エリア

【継続のために】
ただ消費行為として観光地化していってしまっているのではなく、自分たちの自治を継続していくための一部の観光地化。全てを閉鎖的にして生活を守ることはとても難しいけれど、一部を開放することによって外からの理解や、自分たちの自治を継続するための収入を得る、それによって守りたい部分を守り、緩やかに自治を継続させていく。
占拠が始まってから45年以上が経つ今でもなお、隣接する地区とは摩擦も多く残っているという話も現地の方から聞きましたし、実際に閉鎖的だった時期もあったということでしたが、こういった緩やかな関係性を周囲と続けていくことで守るべき部分を守り続けられる自治があるのだなということを深く感じました。
クリスチャニアは現在コペンハーゲンでも屈指の観光地となっていますが、ここに自治とその継続性、周辺との関係性の課題と解決のヒントを得ることが出来ました。

自治による創造とその継続
今回3つの自治的な地区は、カルチャー、政治、ライフスタイルなど背景はそれぞれ異なりますし、それぞれに対して賛否はあるとは思いますが、そのどれもが自分たちで生活をつくりあげる意志と行動によって形作られていること、そしてそれがいわゆる開発されたエリアにはないような個性的で蠱惑的な場所としての魅力に溢れており、それがエリアの魅力につながっています。昨今日本でもメジャーになったDIY住宅がもつ魅力も根っこは同じところにあり、個々の人間性が生み出す空気感を我々は魅力的に感じ惹かれるのだと思います。
一方でこういった魅力的なものは、あっという間に消費されていってしまう恐れも孕んでいます。日本でも面白くとがった店が少しずつ時間をかけて集まってきたエリアが、雑誌に紹介され、大きな資本が入り、一瞬で土地の価格が上がり、チェーン店ばかりになり、魅力が無くなることはよくある話だと思います。
先に紹介したクリスチャニアではここをうまくゾーニングして緩やかに分けることによって共存させて継続させていましたが、ゾーニング以外の方法でもこのような共存の工夫が必要だと感じました。

【バッファや重なりのデザイン】
翻って、自治がまちの魅力をつくるとすると、行政やルールは必要ないのかという話になると思います。
この点において感じたことは、大小さまざまな自治(経済行為もある種の自治として考えたとして)によってエリアが形作られたときに、それぞれの間やつながりをどうバランスさせるか、バッファをどう持つべきか、ということや、同じ場所に様々な自治のレイヤーが生まれた時にどうやって共存させていくかということが、これからのルールや規制の在り方でないかと感じました。
具体的にどうするかという答えはまだありませんが、例えば現在の日本の都市部においては資本主義的自治レイヤーが強く、小さな経済や生活者による自治レイヤーが弱いという場面が多くありますが、その重なる部分をどうするか、それぞれのレイヤーをどう守っていくか、どれかを排除するのではなく、緩やかにつなげたり、重ねあわせたりしていく、ハードのデザインにおいてもソフトのデザインにおいてもこういったことが求められていると感じました。

今回訪れた3地区も今後どうなっていくかは未知数ですが、特にクリスチャニアで感じた「自治のバランス」は日本でのまちのありかたにとっても重要な視点として、考えていきたいと感じました。

(有賀敬直)

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