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ボストン30年の記憶。就活のころを思い出して。学生→内定者→面接者→出張者→親→また学生。

いまボストンにきています。

ボストンは、コロナ時期をのぞいて、ここ10年ほど、出張でほぼ毎年きていました。

ですが出張で来ると、だいたいは車移動で、電車やバスに乗ることはほとんどありません。また自由時間もほとんどありません。あまり街中をゆっくりする機会はないので、ボストンらしさはほとんど感じずに帰国していました。

今回、久しぶりにプライベートできて、電車に乗り、うん十年ぶりに、ボストンを満喫しています。

そして今日、Hynes Convention Centerという、イベント会場の駅にたまたま行き、過去30年の思い出にひたることになった。そんなお話です。


ボストン最初の訪れ

一番最初にボストンを訪れたのは、ニューヨークに住んでいた、中学生のころ、家族と一緒に、観光でした。

ついでに学校めぐりもして、ハーバードやMITも見にいきました。記憶はあまりないのですが、ヨーロッパみたいな街並みだなと思ったことだけ覚えています。


2回目の訪れ

おそらく次に来たのは、大学2年生。9.11があった年でした。

アメリカで学ぶ日本人の学生向けのキャリアフォーラムが、毎年秋にボストンで開催されます。前述の、コンベンションセンターなどに、毎年、大勢の日本人留学生が集まります。

その年は、911があった直後だったので、企業や学生がどのくらい集まるわからない、と言われていた中、まだ2年生なので就活にも早すぎますが、予備練習で、友達と一緒にいきました。

ニューヨークの喧騒に慣れてる大学生。まだ19歳。
ボストンはちょっとおとなしいというか、シックな街だな、と思った記憶です。


3回目の訪れ

そして翌年、インターン就活の本番。気合いを入れて、ボストンキャリアフォーラムに挑みます。

とはいえ、人事のインターンシップを探しつつも全く、氷河期明けだからか、募集がまったくないことは、事前に認識。詳細は割愛しますが、人事以外のポジションでインターン面接。

無事、最終面接まで通り、採用企業のディナーにお呼ばれ。

そこで、その後20年に渡っての旧友となる、将来の新卒同期とも出会います。


4回目の訪れ

前の秋に得た、2ヶ月のサマーインターンを無事終わらせると同時に、フルタイムのオファーももらい、晴れて大学4年生。

その年のボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ)は、「内定者」として、入社予定企業のブースメンバーとして参加しました。

ニューヨークの大学に通っていたので、「ボストン近いし、遊びがてら手伝いに来て?交通費は払うから。」という人事部からのお誘いでした。

友達もみんな就活で、ボスキャリにはいくことになっていたので、どのみち一緒に行く予定でしたし、もちろんです!の即答。

自分の同級や一つ下の学年の方々の、履歴書を受付たり、面接にお通ししたり、などのボランティアをしました。

まさかその後、自分自身が、その人事として、またブースに立つことになるとは、そのころは全く想像していませんでした。


(ちなみに、ボスキャリを運営している、株式会社ディスコさんでは、その前の年にニューヨークオフィスにてインターンもさせていただいていました。右も左もわからなかった学生のわたしを受け入れてくださいました。ボスキャリは、そんな甘酸っぱい思い出でもありました。)


5回目の訪れ

その後は、出張でアメリカには毎年きていましたが、いずれも本社がニューヨークだったので、ボストン訪問はしばらく間が空きます。

人事でなくても、若手面接の要員で、ボスキャリに行っていた同期や先輩もいましたが、わたしの部署は、面接官を派遣するほどではなく、ずっと行く機会はありませんでした。

さて、少し記憶が曖昧ですが、おそらく人事になって8年目のころ。

それまでは、人事の中でも採用だけはあまり関わっていなかったのですが、この頃には、人事全体を見るような役割にも恵まれました。

そして、いよいよ、ボスキャリ。人事として、初めて参加しました。

企画、集客、レジュメスクリーニング。

これまでは、学生側やボランティアとして見てきた場面を、採用する立場で初めて参加。

あのときは、とても感慨深く、10代のころの自分を思い出しました。

ここまで来たな…と。

そして、一番最初の会社の新卒同期で、辞めずに偉くなった子も何人かおり、同じくボスキャリで採用の立場として再会。

あのとき、変なライバル意識あったよね…。
あれから、もう15年以上だね…。
お互い、偉くなった?ね笑

そんな会話が自然と出ました。


6回目、7回目、8回目…?

そこからはよく覚えてないですが、何回か、採用の立場で、ボスキャリに来ました。

ただし、採用で来ると、準備→事前面接→イベント3日+毎日学生とディナーやドリンク→帰国後も面接の続きとオファー対応、などなど、慌ただしい時間だけが過ぎ、ボストンを楽しむ余裕などまったくありません。

いつしか、自分にとって、ボストン=ボスキャリの街、という、無機質な思い出となりつつありました。


10回目…くらい?

そんな時、ようやく、ボスキャリ以外の理由で、出張に来る機会が何回かありました。

しかし、これもトンボ返りで、まったく楽しむ余裕なし。

強いていえば、高層ビルから、街の景色をゆっくり見る機会があったこと。

ボスキャリのイベント会場は、だいたい平面で、外の景色を見る機会もないので、ボストンを見渡す機会があっただけでも、ようやく、ボストンらしさを少し感じることができました。


12回目…くらい?

もはや何回目かもう分かりませんが、そんな無機質な思い出が、ようやく色づいたのが今回の旅行。

20何年ぶりの、完全プライベートでの、ボストン旅行です。

Copleyというところに、無印良品があると聞いたので、どんな感じか見にいったところ、例のコンベンションセンターの駅でした。

私のキャリアは、ここで始まったのだな…と、思い出に浸り…

…の時間は、残念ながらまったくなく、つかれた〜!早くいこ〜!と急かす息子を慌てて追いかける。

少し大人な娘と、主人と、母が、「へ〜、学生のころにもここに来てたんだ〜」と、重い出に少しだけ付き合ってくれました。


節目節目でお世話になっていたボストン

こうして振り返ると、自分のキャリアの、節目節目で、ボストンを訪れていました。

数えてみて、訪問回数にびっくり。

こんなに来ていた認識がなかったので、改めて、色々ご縁のある街です。

そして、今回、親として家族で訪れ。

そして、6月からは、学生として、過ごす。

別にボストンからしたら、わたしの存在なんて知ったこっちゃないでしょうが、わたしからすれば、自分の成長をずっと見守ってくれてたかのような、そんな関係です。

ここで学生になるとは、そして子どもと一緒に住むとは、30年前、初めて家族で訪れたとき、想像もつきません。

この30年を大事に振り返りながら、ボストンでの生活を楽しめたらと思います。


🌷ここまで読んでくださりありがとうございました!🌷

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