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ならうよりなれろ。(比較か起点か)

「習うより慣れろ」ということばって、
ぼくは好きだなあ。そして、折に触れて
このことばのことを思い出したりしている。

「習うより慣れろ」の意味を、あらためて
『広辞苑(第七版)』で調べてみると、
【物事は、人に教わるよりも自分で直接
 体験してゆく方が身につくということ。】
とあって、つまり、その「慣れる」とは
「体験する」の意なのだとはぞんじますが。
ことばの意味としてもそうなのですが、
たとえば、ことばの響き的に見てみても
「習う(ならう)」と「慣れる(なれる)」って
とっても似ているから、
「習うより慣れろ」と口に出して言ってみると、
けっこう心地よくってそれがまた好きなのよね。

そして、この
「慣れる」のことって、
やっぱり大事だなあと思うの。

前回noteでは、先週、日頃あんまり遠出をしないぼくが
高速道路に乗りお出かけをしたことを申しました。
ぼくはほとんど高速を使わないので、たとえば
ジャンクションを通過するときには結構緊張してしまう、
みたいなこともしるしたのですが。
それは、やっぱり、ぼく自身が
高速道路を走ることに慣れていないから、
緊張するのだと思うのね。

どの道を通るかを、事前に
どれだけ調べていたとしても、
実際に運転をして走ってみれば、
勝手のちがうこともあるし、また、
調べるだけじゃあわからないこともある。
この「調べる」って、つまり、
「習うより慣れろ」のことばにおいては
「習う」のほうだとは思うけれども、
「習う」のみでは、緊張もするだろうし、
本当にできるのかどうか不安もつきものだ。

でも、「習うより慣れろ」というときの
「慣れる」が大切なのだとしても、逆を言えば
「習う」も重要だと思う。まずはさ、この
「習う」が無いと始まらない、というか、つまり、
「習う」とか、「調べる」とか、「教えてもらう」とか、
そういうものが無ければ、そもそも
「慣れる」という段階までもゆけず、
たとえば、仕事や勉強ならば
それを辞めてしまう場合もあるのだろう。
なので、ぼくが考えるのは
「習うより慣れろ」というのは、
「習ってから慣れろ」のほうが
より正確なような気がしている。

でも、ことばの語感的にはね、
「習ってから慣れろ」よりも
「習うより慣れろ」のほうが良いなあー。

「習うより慣れろ」って、平仮名でしるせば
「な【ら】うよ【り】な【れろ】」のごとく
「ら行」がいっぱい入っていて、
しかも、そこには「る」は無いけど
「らりるれろ」の順番になっているからこそ、
音の響き的におもしろい、とも言えるやもしらない。

そういうふうに考えるとすれば、
「習うより慣れろ」の中の「より」とは、
比較の意味なのではなくって、
「どこから、どこへ。」とおんなじ言い方としての
「どこより、どこへ。」というような、
起点を表す意味なのかもしれないな。
つまりはさ、
「『習う』から『慣れる』へ。」
ということが、いわゆる
「習うより慣れろ」なのやもしらないか。

ならば、ぼくとしては、
習いたいし、かつ、それを経て、
慣れたい。

でも、慣れたら慣れたで、
その慣れによって、気が
散漫になることもあると思うので、
慣れてからでも、気をつけたい。

もっと言えば、物事とは、
慣れてからが本当の
「始まり」とも言えるのかなあ〜。

令和5年11月8日

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