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「貯蓄」と「排出」と「今、喋りながら気がついた」のこと。

前回noteでは、先日放映の
『Eテレ プレーバック』にて、
1984年6月9日放送されました
『YOU「特集 100回記念 気分はもう21世紀人」』
のアンコール放送を観たことを記しましたが。

当時の『YOU』の番組の中にて、
前回書いたこと以外についてでは、
日比野克彦さんが
あることばをおっしゃっていて。
ぼくは、そのことばがつよく印象に残りました。

それは、作品制作の悩みについて、
司会の糸井重里さんが
ゲストに訊ねる場面で、日比野さんは、、

それは、どういうときかって言うと、
マスコミに深く関わったとき。
ぼくはちがうことやりたいんだけど、
マスコミはこう言ってきて、悩んじゃう。
自分が、個展とかやるには、
べつに悩みもなくて。貯蓄になるから。
けど、排出のところで悩んでると、辛くなる。

‥‥と、おっしゃっていて。

このなかでは、
【貯蓄】と【排出】ということばが
登場していたのですが。ぼくは、でも、
日比野さんのおっしゃること、
完全には理解できてないかもしれないですが、
おそらく、これはさ、
現在の流行りことばで言うところの
「インプット」と「アウトプット」だと思うのよね。

1984年当時には、おそらくまだ
「インプット」と「アウトプット」という語句は、
一般的には使われていなくて。
そしてその代わりに、これは、
日比野さんが個人的に言っておられたのか、
もしくは、社会全体的で広まっていたのか、
というのはわからないけど。
今で言う「インプット」が【貯蓄】、
ぎゃくに「アウトプット」は【排出】。

ぼくはさ、どちらかと言えば、
「インプット」「アウトプット」ということばが
けっこう苦手で。
じぶんでは、ほとんど使わない。

この語句の元は、
コンピューター用語なのだと思うんですが。
データを、記憶したり、取り出したり、って、
おれは、機械じゃないわ!!!!!
って思っちゃう。

そう考えてみれば、
当時の日比野克彦さんおっしゃる
【貯蓄】と【排出】のほうがさ、
しっくり来る、と申しあげますか。
「インプット」よりも、
【貯蓄】のほうが、有難みがある。とゆうか。
「アウトプット」よりも、
【排出】のほうが、人間味がある。とゆうか。
っていうふうに感じたのよね。

そしてまた、『YOU』の
アンコール放送が終わってからは、
現在の糸井さんや出演されていたゲストの方々が
放送当時を振り返る、のときには、
日比野さんが、あることを
【今、喋りながら気がついた】
と言いながらお話しされていて。
このことについて、糸井さんが
【いいなあー】とおっしゃっていた。

糸井さんのおっしゃるには、、

学校の先生は、悪い癖がつくと、
言うべきことがわかってて喋るんですよ。
でも、日比野くんは、
学校の先生やってるって言いながら
そうじゃないところがある。
「自分が今喋ってて思ったんだけど」っていう
それを混ぜられるかどうか、ってのは、
ものすごい大事な部分だなあって思いますね。
いいなあー。

‥‥とのことなのですが。

そう言われてみれば、でも、ぼくも、
じぶん自身ができてるかどうかは棚上げしておいて、
たとえば、ブログ書くときでも、
考えたことだけでなくって、
書きながら思ったことを、書きたい。
という思いはあって。

それはさ、やっぱり、
糸井さんのおっしゃっている
【言うべきことがわかってて喋る】のほうはさ、
喋りが、
自動的、と申しますか、
オートフォメーション、と申しますか、
テープレコーダー的、と申しますか、つまりは、
「機械」のようでもある感じがして。
これとはぎゃくに、
【自分が今喋ってて思ったんだけど】のほうは、
その場その場で生成されてゆく
「人間的なことば」でもあるような気がするの。

なんだか、こう思えば、
「インプット」と「アウトプット」を
【貯蓄】と【排出】と言うこと、そして、
【今、喋りながら気がついた】と言うことは、
どちらも、機械でなく、人間でありたい。
という願いでもあるやもしれないなと感じる。

ぼくだっても、できれば、
「機械的」でなくって、
「人間的」でありたい。
って、心の中で思っているのかもなあ。
みたいな、そんなことをねえ、
こんかいの番組を観ながら思ったんだよねー。

生活をしながら、
いつでも、アップデートできるような、、、
いや、この「アップデート」ってえのも、
元はコンピューター用語か。
いつでも、更新、できてゆけながら、
まいにちをすごせたい〜。

令和3年2月27日


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