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かろうじて書けそうなこと。

日々、ブログで何を書くのか? ってのは、
いつもなやみどころではあるけれども、
ぼくは、noteの自己紹介欄でも記しているですが、
じぶんの好きなことや、考えたことや、
興味のあることを中心に書いているの。

そういうときにね、でも、
好きなことや考えたことや興味のあることを、
まるごと、ぜんぶ、書いているわけでもない。

たとえば、
「好きなこと」とは言っても、
なんとゆうか、つまり、ちょっと
フェチ的なことは書きがたいし、そして、
「考えたこと」とは言っても、
考え中にも届いていないようなことも書けないし、また、
「興味のあること」とは言っても、
興味の度合いが薄くって、まだ
よく知らないことも書きづらいから。

さらにはさ、たとえば、
ニュースで見るような出来事についても、
じぶんの頭の中では考えていたとしても、
ブログで書くかどうか、ってゆうことも、
書こうと思うときは書くけれども、
書こうと思わないときは書かない、
と、決めている。

でも、ならば、どういう場合において、
書こうと思うのか、それとも
書こうと思わないのか、という、その
線引きがどうなっているか、ってえのも
じぶんでもよくわからないんだけれども、
書くときは書くし、そして
書かないときは書かないし、
としか言えない。

仮にね、そのある出来事を
ブログで書かなかったとしても、
ブログで書いていないからと言って、
その出来事が起きていること自体を、
ぼくが、知らない、
という場合もあるとも思うけど、でも、
その出来事が起きていることを、
ぼく自身は存じているし、なおかつ、
じぶんの中では切実に考えていたとしても、
ブログでは書かないこともある。

それだけではなくって、たとえば、
他人のプライバシーに関することは書けないし、
じぶん自身のプライベートに関することも、
書きたいことは書くですが、
書かないことは書かないし、
ほかにも、色々、
書けないこと、及び、書かないことは
たくさんあると思っている。

そういうような状況の中で、
ぼくがブログで書いていることとは、
書けないこと、及び、書かないこと、という
境界線の網をすりぬけながら、
かろうじて書けそうなことをね、
選択的に書いているんだろうなあ、
とも感じている。

文章を書くこととは、
なにを書くか? よりも、
なにを書かないか? を
考えることが肝要である、
というのもよく言われると存じますが。
ぼくがそのことで思うのは、
つまり、じぶん自身が
かろうじて書けそうなことは何か?
を探すことだと考えている。

ってゆうようなことをね、
こんかいのブログでは書いてみたんだった。

令和5年6月13日

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