20190502空

「安寧」と「祈り」と「希望」と。

以前までのnoteではね、ぼくは、
たとえば、みんなで盛り上がる的なのがすこし苦手、とか。
たとえば、生活のなかで「平成」という元号を
あまり使わなかったので若干の申し訳なさがある
、とか。
そういうきもちがあるので、そのきもちのまま、
おとといときのうはちょっとしずかめに過ごしながら。。。

きのうは、あらためて、
じぶんの3月22日のブログでも申しあげました、
橋本治さんの著書『思いつきで世界は進む』より、
PR誌「ちくま」7月号掲載のコラム
【人が死ぬこと】を読み返しておりました。

このコラムでは、、

 西城秀樹が死んだ。六十三歳だった――というニュースを聞いたら、朝丘雪路が死んだ、星由里子が死んだというニュースも続いて、テレビの『徹子の部屋』は追悼番組が立て続けになった。なんでこんなに人が死ぬんだろうと思ったら、平成三十年の五月は、平成が終わる「最後の一年」に突入した時期だった。今上天皇の退位はあらかじめ決まっていて、なんとなく平成は自動的に終わるもんだと思っていたけれど、人が立て続けに死んで行くニュースに接して、改めて「あ、一つの時代が終わるんだ」と思った。

‥‥という一節より始まりますが。このあと橋本さんは、
「東日本大震災」についてのことをおっしゃって。
2011年という年には、親の世代が亡くなった、
とおっしゃいながら、、

意外と人は「時代の終わり」というものに敏感なのかもしれない。

‥‥ということば、つまりは、
「東日本大震災」が、
ある意味での「時代の終わり」であると感じ取って、
「終わった」と思って死んで行ったんじゃないのか。
という文章が、印象的でした。

そして、

 多分、人はどこかで自分が生きている時代と一体化している。だから、昭和の終わり頃に、実に多くの著名人が死んで行ったことを思い出す。
 昭和天皇崩御の一九八九年、矢継ぎ早とでも言いたいような具合に、大物の著名人が死んで行った。一部だが、天皇崩御の一月後に手塚治虫が死に、翌月には東急の五島昇、翌月には色川武大、松下幸之助、五月には春日一幸、阿部昭、六月になって美空ひばり、二世尾上松緑、七月は辰巳柳太郎、森敦、八月に矢内原伊作、古関裕而、九月は谷川徹三、一月おいて十一月が松田優作、十二月が開高健。今となっては「誰、この人?」と言われそうな人も多いが、死んだ時は「え?! あの人も死んだの?」と言われるような大物達だった。

‥‥のところはね、読みながら、
そのなかではぼくには存じあげない方々もおられますが、
また、このコラムの最初で橋本さんおっしゃていた
「平成30年5月」に亡くなられた方の以後でも、
「平成」の終わる間際に亡くなった有名人の方々を
思い出しながら。。

一部ではございますが、、、
平成30年には、桂歌丸師匠、菅井きんさん、
さくらももこ先生、樹木希林さん。
平成31年には、市原悦子さん、また、
このコラムを書かれました橋本治さん、、
笑福亭松之助師匠、ドナルド・キーンさん、内田裕也さん、
萩原健一さん、モンキー・パンチ先生、小池一夫先生、
小出義雄監督、、
そしてさくじつのニュースでは
遠藤ミチロウさんの逝去が伝えられまして。。。

これらの訃報を想いながら、想い返しながら、
「時代」というものをあらためて想ったり。
「元号が変わること」は、ぼくが考えているよりも、
日本人にとって根強いものかもしれないなあ。
とも想ったり。。。

上皇陛下の天皇ご退位のおことばでは、

「わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。」

とおっしゃっておられて。
また昨日での、
天皇陛下ご即位のおことばでは、

「国民の幸せと国の一層の発展、
 そして世界の平和を切に希望します。」

とおっしゃっておられて。
(上皇陛下と天皇陛下のおことばは、
昨日および本日の中日新聞朝刊より引用です。)

この二日間は、
「安寧」と「祈り」の「希望」の日だった。
と感じておりました。

ぼくも、ぼくなりの、
じぶんなりではあるやもしれないけれども、
「安寧」と「祈り」と「希望」を想えるようでありたい、
って想って。
過ぎてゆく「平成」の時代と、
やってきた「令和」の時代を、祈りたいです。。。

令和元年5月2日


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