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「ファン」について。(お客様と、神様と。)

このごろはね、なんだか、
「ファン」について考えている。

ファンとは、たとえば、有名人さん、芸能人さん、
タレントさん、芸人さん、ミュージシャンさん、
アーティストさん、小説家さん、漫画家さん、
アイドルさん、スポーツ選手さん、YouTuberさん、
などなどの方々のことを、大好きで、かつ、
応援している人のことを指すとぞんじますが。
ぼくだってもね、大好き、かつ、応援をしている
ファンである、と思っている方もおるのですが。

ファンは、ぼくが、たとえば
あるミュージシャンさんのファンなのだとすれば、
新しい作品がリリースされれば聴いたり購入したり、
コンサートが開催されるならば会場を訪れたり、
雑誌及びWEBでインタビュー記事を読んだり、
SNSをフォローして毎回チェックしたり、
テレビへ出演されればリアタイや録画で観たり、
グッズを購入したり、部屋にはポスターを飾ったり、
などなどをね、人によってその度合いは違えども
行いながらそれらのご活動やご活躍によって、
楽しんだり喜んだり感動したりする。
とは思うのですが、つまり、それを
ちょっと悪めの言い方をするとすれば
「良いお客さん」なのだと思うのね。

この「良いお客さん」について考えるならば、
かつて、「お客様は神様です。」ということばを
演歌歌手の三波春夫さんが言われていた、
と聞いたことがございますが。
この「神様」ということばとは、
神様だから何をしても許される、みたいなことではなくて、
きちんとした解釈があるとはぞんじておりますが。
でも、ぼくが思うのは、なんだか
ファンであるぼく自身よりも、その
ミュージシャンさんならばミュージシャンさんのほうが
「神様」である、とも感じたりもする。

そんなような、
じぶんにとっての「神様」がね、
たとえば、なにかしらのことによって
インターネットで炎上したり、
ワイドショー番組等で叩かれたりすれば、
ファンもまた、人一倍、悲しんだり、
つらくなったりもする。つまり、
そのご活動によって、一喜一憂する。

それで、ファンが、たとえば
WEBニュースのコメント等のなかで
弁明のようなことをしようとするならば、
ある人々たちからは、
ファンはファンで盲目だから、
つまり、たとえファンだったとしても
これを変だと思わないのはおかしいし、
やばいよ、とかも言われたりもする。

もちろん、ファンなのだから
客観的に見られない部分もあるし、
感情的になってしまうときもある。
それは、ぼくだっても経験があるけれども。
でも、そこまで、つまり、
ファンまでつよく断罪されるべきことなのか。
もしくは、叩かれるべきことなのか。
もしくは、ほんとうに
そこまで言及されるべき内容なのか?!
というのもよくわからない場合もある。

ぼくはさ、ぼく自身も
あるだれかのファンなのだから、
「ファン」の人の気持ちというのは
すこしばかり想像できるからこそ、たとえば、
倫理的に良くない行いがあったとすれば、
それについて「良くない」とは考えながら
でも、それ以上のことはできないし、
もっと言えば、したくない。

ファンが一番つらいし、そして、
ファンもまたそのことについて、
どうしたらよいものか、
どう考えたらよいものか、
どう言ったらよいものか、
わかりがたい場面だってある。
たとえば、でも、その
タレントさんやアーティストさんだっても、
ほんとうは「神様」では無いのだから、
いろいろな状態もありうるのでしょう。

ならば、もちろん、良くない部分は
きちんと「良くない」と思いながら、
でも、そこで、完全なる正義の立場から
つよくつよく言及することも、
変だなあ、って、ぼくは思ってしまうのですが。

ここまでをしるしながら、なんだか
うまくは言えないんだけれども、
ぼくは、ぼくなりにね、
ぼく自身が、ほんとうの意味での
「良いお客さん」であれたい。
なおかつ、
「お客様は神様です。」なのだともすれば、
ぼくは、ぼくなりに
「良い神様」であれたいと願うよ。

令和5年11月11日

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