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考えるには時間がかかってしまうし。

さくじつのブログの中では、記憶は定かで無いけど
おそらく約二十年前ぐらいのとある出来事について、
今ではこのように思っている、
というのを申しあげました。
つまりはさ、そのことは、今、
二十年ぐらいが経たなければ、
考えられなかったとは思うけれども、
それらも含めて、申し訳ない、
と、今では思うのですが。
そんなぼくは、なにかを
考えるには時間がかかってしまうし、
頭は鈍重だし、つまり、ばかなのだろうなあ。

同様のことを挙げるとすれば、あるころ
ある友人とのあいだで起きた出来事について、
あのときのことを、今、
考えたけれども、話さない? と訊ねると、
それって十年前のことだろ、今さら
そんな昔のこと、話したくないよ!
とのように言われて、以来、
会えなくなってしまった関係性もある。
彼にとっては昔のことでも、
ぼくとしては、十年ぐらい経ち
ようやく思えたようなことであって、
それもこれも、ぼくがすぐに
考えられないからだめなんだろう。

たとえば、ふつうだったら
「十秒」で考えられるところを、ぼくは
「十年」かかってしまうんだから。
そういうふうに考えると、
こんなにも、頭が働かないような
じぶん自身はばかなのだとしか思えないな。

だからと言って、これは
反省したってしょうがない気もする。
反省するとしても、どういうふうに
反省をすれば、これまではとっても
時間がかかってしまっていた考えごとを、
これからは、すぐさまに
考えられるようになるのか?
というのもぼくにはわからない。
このことだっても考え始めれば、たぶん、さらに
時間がかかってしまうか、もしくは
十年、二十年、三十年、時間が経ったとしても
鈍重でばかなぼくにはわからないやもしらない。

そういうふうに想うと、
悲しくなってきてしまう。

つまり、みんなにとっては
すぐに考えられることでも、
ぼくはすぐには考えられず、
その地点で取り残されてしまっている。
言い換えれば、人々は未来へとゆき
ぼくだけは過去に置いてゆかれる、
つまり、浦島太郎的な?
これこそが、いわゆるウラシマ効果?!

とある事象について、じぶんなりに
納得できてから先へ進みたいだけなのに、
納得できるような考えを、なかなか
考えることができないんだなあ。
そんなぼくは、考えるのが
あまりにも下手なのだなあ、って思うよ。

そんな考えるのが下手なぼくは、
でも今日もまた、考えることの
トライ&エラーを繰り返してゆく。
全然、エラーしか出ないけど!!!

令和6年4月10日


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