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頭の中ではどのようになっているか。

うーん、うーん、と、
腕を組み、目を瞑り、口も噤み、
資料を広げた机へ向かっていたとしても、
その頭の中ではどのようになっているか、
他人からの見た目ではわからない。

もしかしたら、
今日の夕飯で食べたいものを想っているか、
今プレイしているゲームのことを想っているか、
明日の予定のことを想っているか、
明後日のことを想っているか、
じつは休憩しているか、
もしくは、寝ているか、
エロいことを想っているか、
誰にも言えないことを想っているか、
いるかのことを想っているか、ひいては、
いるかがどこにいるかを想っているか、
などなどのことについて、
想いをめぐらせているかもしれないか。

しかし、本当は、
その資料のことに関して、
よい考えを、考えなくちゃならない。

うーん、うーん、と、
腕を組んでいたとしても、
逆に、
うーん、うーん、と、
腕を組んでいなくても、
どちらにしても、
よい考えは、
出てくるか、出てこないか。

よい考えが、
出てくるか、出てこないか、の前に、
「考える」とは、何なのか?
ということさえ、
ぼくは、よくわかっていない。

考えれば、
よい考えは、
出てくるものか。

もしくはさ、
考え方にも「良い・悪い」があって。
悪い考え方をすれば、
よい考えは出てこなくって、その反対に、
良い考え方をすれば、
よい考えは出てくるか。
いや、そもそも、
考えても、考えても、考えても、考えても、
よい考えは出てこないならば、
むしろ、考えないほうが、
よい考えは出てくるか。

よい考え、とは、
どこにあるか。

たとえば、
頭の中にあるか、
頭の外にあるか、
頭の中と外との境界線上にあるか、
それとも、、、

考えても、
考えなくても、
よい考えが出てこなければ、
どうしたらよいのか?

って考えたとしても、
それすらわからないならば、
もう、どうしたらよいの?????

いるかならば、それを
知っているかもしれないか。

そんな、いるかが、
どこにいるかは知らないが、
いるかに話しを伺えたら、もしくは、
よい考えが出てくるかもしれないか。

この声は、
いるかに聴こえているか。

蘇我入鹿は、
泣いているか。

今度、また、みんなで、
蹴鞠で遊びたいな。

令和4年9月14日


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