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距離とことばと後悔と。。。

「平成23年3月11日地震の瞬間あなたはどこでなにをしていましたか?」というエントリをさくねんの3月11日のnoteで申し上げましたが。

そこで申しましたように、そのとき、ぼくはじぶんの部屋のつくえに向かって就職活動のための履歴書を書いていた。けれどもこの履歴書はけっきょく、そのnoteへも記しましたが、使うことはなく。。。

‥‥という、これらのことはさくねん記しましたので、ことしはまた、べつのことを書こうかなとおもって。。

地震が起きて、ここ愛知県豊橋市でもながいあいだ揺れました。(あらためて調べると「震度3」とのことです。) そのすぐあと、1階に居た母がおどろきうろたえながら、2階のぼくの部屋にやってきて、「こわい…」と言った。そして、ぼくはテレビをつけ地震速報を見ながら、ひとこと、

「ここ(豊橋)は、だいじょうぶだから。」

と、母へ言ったんだった。

たしかにそうだった。ここは、だいじょうぶなのだった。だけれども、このことばからでもわかるように、ぼくはじぶんのことしか考えていなかった。考えられなかった。とゆう、このひとことを口に出してしまったことを、ぼくはその後からもずっと後悔していた。。。

また、大地震当日より数日後。おそらく3月14日頃かとぞんじますが。せんじつのnote(←レミオロメンの『アカシア』についてのこと)でも申しあげた、当時、群馬県前橋市の実家に住んでいた大学の同級生の女のこへ、心配のメールをしたんだった。

彼女は、前橋ではおおきく揺れ、家のお皿が割れたり、おねえちゃんが帰宅困難になったり、いろいろ大変だったけれど、だいじょうぶだったよ。と、連絡をしてきてくれた。

なのですが、つづけての文面では「原発がどうなるかわからないから…」とのように記されてあったので、ぼくは何の知識も根拠も無いままに、とおく離れたそのこへ、

「だいじょうぶだと思う。」

と返信をしたのだった。

なんの気安めにもならないようなこんな返信をしてしまったことに対して、ぼくは、その数日前に言ったひとことと同様の後悔を、あとから感じた。

この「後悔」とは、いまになって説明しようとするならば、つまり、どうやったとしてもじぶん自身からとおく離れている「場所」や「人」を想うための想像力を働かすことができない。

ということだとはぞんじますが。

こういう「想像力」を養うのは、とってもむつかしい、って言うよりも、ほんとうの意味では、不可能なことなのかもしれないし。かと言いながら「不可能」で済ませるのも、怖いし、恐ろしいことだ。と思うけれど。はたして、どのようにすればできるかは、わからない。

あの、うまくは言えないですが。なんと言うか、ぼくは「距離」のことを考えているのかもしれないなあ。

そんな「距離」を想いながら、祈ります。。。

平成30年3月11日


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