20190223空

げんそく。

「じぶんがされてイヤなことは、他人にもしない。」
という標語(?!)は、ほんとうに、
すばらしいなあー、と思いながら、ぼくも、
このことばをげんそくのようにしているのですが。

それが、ちゃんとできているか?
ていうのはまずはよこに置いておいて。

どうして、
「じぶんがされてイヤなことは、他人にもしない。」
をしたほうがよいか????? ってぇのは、
やっぱり、おそらく、、、

「他人にしたことが、
いつか、じぶんのもとへ返ってくるから。」

‥‥なんだと思うんだわね。

たとえば、だれかとってもきらいなやつがおって、
そいつを、無視してやろう! とか思いながら、
無視した、として。

仮にね、じぶんが
「他人から無視されるのがイヤだ。」とは思わなければ、
それをしても構わないと思うけれども。

でも、
「きらいなひとを『無視』する。」というのを、
ひとたび、じぶんがしてしまえば、
「きらいなひとを『無視』する。」という行為が
そのとき、ひとつ、世界に生まれてしまって。

そこから、
「きらいなひとを『無視』する。」
が、世界に認知されて、拡散されて、蔓延されて、
あげくには
スタンダードになってしまうかもしれなくって。

その行為が蔓延してしまった世界では、
じぶんだって「それ」をするし、
あいてだって「それ」をするし、
みんなだって「それ」をするから。
じぶん自身が「それ」を「される」ことだっても、
ありうるわけで。

となれば、じぶんが
「他人から無視されるのがイヤだ。」と思うのならば、
もう、じぶんの住んでいる世界が
どんどん「じぶんのイヤな世界」になってゆく。。。

そんなじょうたいを止めるために、
じぶんのできること。というのが、

「じぶんがされてイヤなことは、他人にもしない。」

なんだと思うの。

でもさ、このことばってば、
ぼくは中学とか高校のころとかに知りたかったな。
というのもちょっと感じつつ…。

だもんでぇ、ぼくは、
「じぶんがされてイヤなこと」と、
「じぶんがしてもらってうれしいこと」についてを、
なるべくいつも想ってたいんだよね〜。

平成31年2月23日


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