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おれのターンにおれがてきせつにうごくこと。

現在40歳のぼくは、
車の免許を取得してから20年ぐらい経つけれども。
いまだにね、車の運転中において、
救急車や消防車等の緊急車両が行き交うときには、
緊張する、というか、悩む、というか、
迷う、というか、むつかしい、というか、
この場面でじぶんがどうやって動けばよいのか、
ぱっとではわからない、と思ってしまうことが、
しばしばある。

そういうときにはね、
緊張しながら、悩みながら、迷いながら、
なんとか、その場をしのいでいる、
という感覚はいつまでも抜けないんだなあ。

以前、市内の国道を運転中、
ある大きな交差点で信号待ちをしていたときに、
後ろのほうから、このときは救急車だったかなあ、
緊急車両が近づいてこられた。
でも、そのときは、
右折用の車線を含めた3車線すべて、
後ろのほうまでぎゅうぎゅうに車が詰まっていて、
救急車の通れる幅を開けることがむつかしい。
ってゆうようなときにね、
これまたなかなか困ったことに、
ぼくの車が3車線の真ん中の車線、しかも、
交差点の一番前にいたんだった。

その赤信号で止まっていたとき、
かすかにサイレンの音が聴こえてきて、
(この音はどこから?)
(え、このうしろ?!)
(おれがいちばんまえじゃん?!!!!)
と思いながら、
(じぶんが最初にうごかなければ、
どうすることもできないのか!)と感じながら、
前方には、青信号でびゅんびゅん走る車に気をつけながら、
交差点内のなるべく行けるところまで、
じぶんの車をそろそろと進めてゆく。

そうして、それから、すこしずつ、
幅を開けることができて、
救急車が通ることができた。

あのときのね、
「じぶんが最初にうごかなければ、
どうすることもできないのか!」
って感じたときの緊張感は、
なんとも言えない感覚だったのを憶えている。

「じぶんが最初にうごかなければ、
どうすることもできない」
とは、つまり、
「じぶんの番」であり、もしくは、
「おれのターン」ってことだとぞんじますが。

車の運転中、
緊急車両が近づいてくる、
という場合だけに限らず、たとえば、
仕事でも、会話でも、コミュニケーションでも、
あらゆる場面において、
「おれのターン」のときには、そのことに、
ちゃんと気がつくことができて、
できれば、なるべく、てきせつに
おれがうごけるようであれたい。

とは言えども、やっぱり、
てきせつにうごく、というのは、
とてもむつかしいけれども。

その場面という事態に対して、
ちゃんと気づくことができるような
「センサー」をやしなえたい〜。

令和4年11月25日


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