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雨の音とこれ以上生はないっていうような塊。

先日、NHK総合で放映されました
「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を観ました。

番組を観た感想というのは、ことばでは
うまくはあらわせられないですが、でも、
なんだか、いろいろなことを
想ったように存じております。

このごろのぼくのブログでは、たびたび
音楽についてしるしていたですが、
そんなある日のブログの中でね、ぼくは
「身体がつかれているときには、
 音楽もあんまり聴けないけれども」
と申しあげました。

このことを思い出したのはね、坂本さんの
最晩年の肉声記録としておっしゃっている
【やっぱり自分にエネルギーがないときはね
 音楽っていうのはなかなか聴けないですよね
 音楽って熱量が高いものなので
 受け止める体力がないと
 なかなか受け止められないですよね】

の場面を観たときでした。

もちろん、ぼくの
身体がつかれているとき、というものと、
坂本さんの感じられている、その
自分にエネルギーがないという身体の状態とでは、
まったくもって別の次元と言えるというのは
承知はしているのですが、でも、
音楽を聴く、というのは、
音楽とは熱量が高いものだからこそ、
音楽を受け止める体力がなければ
受け止められない、だからこそ、ぼくだっても
身体がつかれているときには、
音楽を聴けない、もしくは
音楽を聴く気分になれない、ということなのか。
って、腑に落ちたように感じました。

そしてさらに、坂本さんは、
【やっぱりそういうときは
 音をただひたすら聴いてましたね
 音楽じゃなくても音がね
 とにかく必要で】

ともおっしゃっていて、そのシーンでは
雨の光景とともに雨の音が流れていた。

坂本さんのおっしゃる、その
「音楽」と「音」の違い、というのは
ぼくはうまく語ることもできないのですが、
でも、なんだか、なんとなく
感覚的にはわかるように存じあげます。

またさらには、坂本さんの
「20210303」のメモダイアリーの中では、、

入院中、音楽を聴けない。
雨の音しか聴けない感覚を忘れずに作品を作ること。

‥‥と書かれていた、とのことでして。
そのことを想いながら、
2023年1月17日リリースのアルバム
『12』の一曲目として収録されている
『20210310』をあらためて聴くと、
とっても感慨ぶかい気持ちになってくる。

この曲について、番組での最晩年の肉声記録として
坂本さんがお話しされているのは、
【なんか音を浴びたくなったんですよね
 この間ずっと2か月ぐらい何も浴びてないので
 回復したので音浴びたくなって それでシンセに触って
 シンセ1台で好きな音出して
 はい 終わりってそれだけの
 これ以上生はないっていうような塊が出来て】

とのことなのですが、そう思えば
アルバム『12』収録の『20210310』とは、
「音」であり、そして
「雨」のようでもあり、なおかつ
「音楽」でもあるかのような、つまり、
坂本さんの言われているような
「これ以上、なまはないっていうような塊」
のような音及び作品である、って、
そんなふうにも想えてくるなあ。

そんなふうに想いながら、この
『20210310』より始まったとされる
【思いついたら何か録る】
というスケッチが収録されている
アルバム『12』をね、昨日、また
あらためて聴いておりました。

番組の最後では、、

2023年3月28日
午前4時32分
雨が降る中
息を引き取った

‥‥と、字幕で表示されておりましたが、
坂本さんは最期まで、その
雨の音を聴いておられたのかなあ。
人間は、最期のときまで
耳は聴こえている、というのを聞いたことあるけれども、
おそらく、やはり、たぶん、その
雨の音を聴いておられた、と、想像をいたします。。。

2024年4月21日


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