顔晴って

ぼくの頭の中の雪かき。

村上春樹さんの小説『ダンス・ダンス・ダンス』でね、物語の主人公が、自身のやっているライターのお仕事のことを「文化的雪かき」なのだと言っていて。

ぼくはこのばめんをはじめて読んだときに、なるほどぉ、おもしろいなあ、と思った。

のだけれども。その後、たとえば内田樹さんの著書でのご説明を読んだり。ちょっとじぶんの中で考えてみたり。また、ニュースで大雪による災害を見たりして。。。

えーと。

ぼくの住む愛知県豊橋市は、雪がほとんど降らなくって。積雪、というのは、ほぼございません。言うなれば、数年に一度ぐらい。

そういうじぶんには、「雪かき」というのも経験ないし。その光景をテレビで見たとしても、おそらく「雪かき」のほんとうのところの気もちみたいなことは到底、わかれない。って感じる。

そうなるとさ。たとえば春樹さんの小説の「文化的雪かき」というのも、ぼくは、じっさいのニュアンスとしてわかってないかもしれないなあ。。。

ぼくは以前いつぞやのブログエントリでね、ぼくがブログを書くというのは、ぼくの頭の中で降って来る「大雪」的な気もちに、押しつぶされないために、それを消してゆくように、書く。みたいなことを「文化的雪かき」を踏まえながら記したことがあるんですが。

たとえば、「テトリス」や「ぷよぷよ」の落ち物パズルみたいに、上のほうからどんどんどんどん降ってきて。それらをほんのすこしずつでも消してゆかないと、すぐに詰まってしまってゲームオーバーになってしまう。みたいなイメージで。

それでねぇ。いつもは、最小単位の「ブロック1列ずつ」または「ぷよ4つずつ」消してゆくんだけれども。

たまにはさ、「4列いっきに」もしくは「大連鎖」で消せるときもあったりして。そういうふうにしながら、ひたすら、消してゆく作業をするみたい感じで書く。ていうような。。

なんだか、まずは、じぶんの頭の中がその降ってくるもので「詰まらない」ように。そして、じぶん自身の外部との交通路が「開通する」or「回復する」ように。

でもそれが、もしかしたらぼくのちかくのばしょにも及んで、そこを通りたいひとが「通れる」みたいなことが起きたらよいなあ、と思う。

平成30年2月11日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?