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「自分の歌」を歌うこと。

昨日のブログでは、
ある日、目を覚ましたら、
ビートルズが存在していない世界になっていた。
そして、その世界で、自分だけが
ビートルズの音楽を憶えていたら。。。
というストーリーの映画『イエスタデイ』をね、
映画館で観て以来、ひさしぶりに鑑賞しながら、
考えたことを記しました。

今回、映画『イエスタディ』を観ながら
ずっと想っていたのは、
岡本太郎さんのことば、
【自分の歌を歌えばいいんだよ】
であるのだった。

このことばとは、そう、
今年7月に放映された
「TAROMAN」の第二回で言われていたことばである。

つまりは、このことばのように、
映画『イエスタデイ』の主人公・ジャックも
「自分の歌を歌えばいいんだよ」
と想ったんだった。

しかし、そもそも、
岡本太郎さんの言われていた
「自分の歌」とは、どういうことなのだろう?

『イエスタデイ』では、主人公のジャックは
シンガーソングライターとして、
ご自身の歌も歌われていたけれども、
その歌では、どうしても
売れることができなかった。

売れるか、売れないか、というのは、
作品を作る人にとっては、
とても大切なことだとは存じますが。
でも、たとえば、「自分の歌」を歌っても、
売れることができなければ、
どうしたらよいものか。

そしてまた、『イエスタデイ』ではさ、
ビートルズの歌を、
ジャックが自分自身で作ったとして、
発表をするんだけれども、たとえば、
ジャックの幼馴染みであり、かつ、
マネージャーでもあるエリーは、
『And I Love Her』の曲を聴きながら、
「なぜ、私はこの枠なの?
 “友達・マネージャー・付き人” の枠。
 “愛する女” じゃなくて。」
と、悩み、惑う、というシーンもあって。

ジャックにとったら、
その歌はビートルズの音楽なのだから、
歌の中には自分自身の気持ちは入っていない。
けれども逆に、エリーにとったら、
その歌はジャックが作ったと想っているのだから、
歌の中で描かれていることは、
ジャック自身の気持ちである、と考える。
でも、ジャックの行動を見れば、
裏腹のようにも感じられてしまうから、
惑ってしまう。
という解釈ができるのかなあ。

つまりはさ、
「自分の歌」ではない歌を、
「自分の歌」なのだと語って歌えば、
苦しんでしまう人も現れる。
それは、もしかしたら、
周りの人だけでなくて、
ついには、自分自身さえも
苦しむことになるやもしれない。

このことも踏まえながら、
岡本太郎さんの言われていた
【自分の歌を歌えばいいんだよ】
のことばとは、どういうことなのだろう?
って、さらに考える。

昨日のブログの最後でも記したですが、
映画の最後のシーンではさ、
ジャックが子どもたちといっしょになって
『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』を歌う、
というこの場面の
『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』とは、
ジャックだけでなくって、
子どもたちも含めたそこに居る人たち全員が、
これは「自分の歌」だ。
と思っているかのように歌われていて、
それが、なんだか素敵だったな。

あのシーンでは、まさに、
岡本太郎が言っていた
【自分の歌を歌えばいいんだよ】
なのだと想ったんだった〜。

And if you want some fun - take Ob La Di Ob La Da

令和4年10月4日


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