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音の集まりが連なることによって。

音楽を聴くのが好きではありながら、でも
音楽について詳しくは存じていないぼくは、
音楽とは何か? というのもよくわからないな。

音楽とは何か? って、
ぼくが考えて思うのはね、音楽とは
楽器や声の音が集まりながら、なおかつ、
その音の集まりが連なっているもの、
というふうには言えるのかなあ?
でも、それでもね、
音の集まりが連なることによって、
これほどまでにも、心が躍ったり、
わくわくしたり、しんみりしたり、
泣けてきそうにもなったりするのは、
不思議だなあ! って思える。

たとえば、ぼくはアコースティックギターを
すこしさわることができるですが、そのギターを構えて
「E」というコードをじゃらーんと弾けば、
なんか、きら〜ん! としたかのような
音が鳴らされるけれども、その「E」のコードから
人差し指で押さえていた3弦を離すと今度は
「Em」というコードになり、それは、なんだか、
どよ〜ん! というような音の響きになる。

このようなギターの「コード」というのも、
6つの弦(コードによってある弦をミュート、つまり
6つすべてを鳴らさない場合もあるですが)が鳴らされる
音の集まりであり、そして、さらには
「コード進行」というコードの連なりによって、
音の雰囲気が変わってくる。たとえば、
【E → A → B → E】だとポップな感じで、
【Em → C → D → G】では暗めな感じ、的な?!

アコギをじゃかじゃか弾くだけでも、これだけの
音の集まりと連なりを感じられるのだから、それがさ、
バンドやオーケストラともなれば、
音の集まり及び連なりは、もっともっと
厚く、広く、鮮やかに、艶やかに、
盛大なものにもなってゆくのでしょう。

そんな音楽もね、たとえば、
誰が作り、誰が演奏して、誰が歌うかによっても
ぜんぜんちがうものになる、というのも
不思議だなあと存じます。

そういうようなちがいについて考えるとき、
「歌」はわかるの。つまり、
この人が歌うのとあの人が歌うのとでは、
声がちがうから、歌声もちがってくる。
でも、演奏で言うならば、
誰のギターなのか、誰のドラムなのか、誰のピアノなのか、
というのでも音は変わってくるのだから。
たとえば、ぼくはB'zが好きではあるけれども、
松本孝弘さんの演奏されるギターの音は、
B'z及び松本さんだと言われなくとも、これは
松本さんのギターだ! と、わかることもある。
そして、ましてや、それがバンドとなれば
歌声、ギター、ドラム、ベース、キーボード、
などなどの音が合わされるから、
唯一無二の音楽となる、って言えるのだろうなあ。

音楽を作る、曲を作る、歌を作る、
というのはぼくはできないから、それが
どういうことなのかもわからないけど、
やはり、その人が作られる音楽は
その人の個性かつ独自のものなんだなあとも考えられる。
たとえば、以前、収録曲の情報は何も知らないまま、
上白石萌音さんのアルバム作品を聴いているときにね、
ある曲を聴きながら、これって
えっちゃん(チャットモンチー済の橋本絵莉子さん)さんの
メロディーじゃあない? と思って、
あとで調べてみればやはりそうだった。
(アルバム『note』収録の『白い泥』という曲です。)

なんだかそう考えてみると、音楽とは
音の集まりと連なりではあるともしても、
それだけにとどまらない、と申しますか、
えーっと、なんて言うんだろう、
やっぱりうまく言えないけれど。

音楽って、つまり、音なのだから
実体としては無い、かつ、形が無い、
とも言えるし、つまりはさ、
手ではさわれない、もしくは
つかめない、と申しあげますか。
それらの音楽を、楽譜には
しるすことはできたとしても、
楽譜にしるされているその音楽を
誰が演奏するのかによっても、
まったくちがうものになるのでしょう。

とは言えども、ぼくは
楽譜も読めないんだから。。。

ト音記号と、シャープと、4分の4拍子と、Dadd9と、
アレグロで、フェルマータで、クレッシェンドで、
ダルセーニョのような音楽を聴けたい〜。

令和6年4月14日


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