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あたりまえとよりどころ。

10月1日のブログの中でぼくは、
「塾へ来る動機や理由は、
生徒さんによってさまざまあるとしても、
塾は勉強するところなのだから、
塾へ来たら、勉強をする。
というのは、ぼくがこれまで数年間、
学習塾講師として働いてきて、
考えついたひとつの結論だ。」
とのように書いたんだった。

ぼくが先日書きました、この
「塾へ来たら、勉強をする。」というのはさ、
あたりまえのことだ、と、
思われるやもしらない。
ぼくだっても、それは、
あたりまえだと思うし。でも、この
あたりまえがさ、ぼくがパートで
学習塾講師として勤めるにあたっての、
よりどころのようになっているふしがあるの。

たとえば、生徒さんが塾へ来られて、
教室の席へと座ったとしても、
いっこうに勉強を始めようとしないときがある。
その理由として挙げられるのは、
つかれている、とか、
めんどくさい、とか、
学校でイヤなことがあった、とか、
親とケンカした、とか、
いろいろあるとも思うけれども。
そんなときに、この生徒さんが
勉強をしようとしないことに対して、
注意してもどうしようもないし、もしくは、
説教してもどうしようもないし、はたまた、
イヤなことがあったこと、とか、
ケンカしたこと、とかについて、
生徒さんの話しは聴くとしても、
それを、ぼくは、解決できない。

そういうときにね、そのことについて
生徒さんと話しを続けていても、
埒が開かないんであれば、
教室の席で座りながら、
すこし落ち着いてこられたら、
テキストを開かせて、そのページにある
問題を解かせる、とか、
問題の解き方のヒントを伝える、とか、もしくは
問題の答えを教えてしまう、とか、
そうすることによって、
生徒さんも勉強を始めてゆく。

それはおそらく、生徒さんも
「塾は勉強をするところだ。」
というのは了解していて。
そんな塾へ来るのは、
どういう動機や理由なのかはさておいて、
今、来ているから。ならば、もう、
そのシステムの上に乗るかのようにして、
勉強するほかない。

勉強をしない生徒さんに対して、
諭したり、注意したり、説教したりしても、
どうしようもない。ってゆうのは、
ぼくの中では大発見だった。
そして、いかにして、
生徒さんが勉強を始められるか、
ということがさ、
学習塾の教室の中では、
いちばん重要なことであって。
逆を言えば、こういうような、
つまり、あたりまえのようなことが、
学習塾講師として勤めるにあたっての
ぼく自身のよりどころとなっている。

とは言ってみても、それもなかなか、
むつかしいことだとも思うけれども。
ぼくとしてはさ、そういうときに思うのは
『北風と太陽』のお話しで言えば、
「北風」よりも
「太陽」のほうであれたら、
と、ねがえたいのよね。

令和4年12月12日

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