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カワモトさんが教えてくれたこと

通勤バスを降りて会社まで歩く。

出社時間まで十分余裕はあるが、
せっかく歩く機会なので毎日タイムを測り
タイムトライアルをしている。

昨日も会社がある工業団地の中を
颯爽と歩いていると、
とある会社の前でふいに懐かしい匂いに
襲われた。

何とも形容しにくい匂い、
しかし、なぜだか懐かしい。

これは一体いつどこで嗅いだものだろうか。

歩きながら考えていると
ふとある人の顔が思い浮かんだ。

前職の工場で製品の原料配合をしていた
カワモトさんである。

そして、カワモトさんの顔と共に
とある原材料を軽量したときに
フワっと立ち上がるあの匂いを思い出した。

これはあの匂いだったのだ。

私は前職に新卒で入社した。

入社して2週間ほど本社で全体研修を受け、
その後、技術系の社員は3か月製造現場で
研修が行われた。

私はそもそも生産技術要員として
採用されたので、
私にとっては工場がメインフィールドになる。

工場の研修では私がリードせねば。

そんな妙な気負いもありながら
私は同期と共に研修に臨んだ。

現場の若い先輩社員の方々に色々と
教えてもらいながら研修自体は
思っていたよりもスムーズに進んでいった。

現場の人たちは一見チャラそうに見えるが、
話してみると案外しっかりしていて
質問をすると自分で答えたり、
わざわざ上司に確認してから答えてくれる姿勢に
私はとても感心していた。

そんな中、私はカワモトさんが担当する
原材料の配合工程に2週間お世話になることになった。

カワモトさんはビーバーのような見た目で
笑顔が印象的な方ではあるが、
最初にご挨拶したときも
何となくぶっきらぼうな雰囲気が
言葉に貼りついている気がした。

早速研修が始まりカワモトさんに
一通りの工程と何をしなくてはならないかを
教えてもらいながら、
業務に参加させてもらう。

実際自分で作業をしてみると
「よくこんな多くの仕事を1日で回すな」
と驚いたが、
それと同時に原材料の配合について
疑問点がたくさん浮かんできた。

そこで、私は休憩時間にカワモトさんに
疑問点について質問してみることにした。

カワモトさんは当時驚くほどの
チェーンスモーカーで、
私の話を聞きながらもずっとタバコを
ふかし続けている。

一通り私の疑問点を聞いたあと、
カワモトさんはこんなことを言った。

「俺はそういう難しいことわからんから
今度研究に行ったとき聞いてみて」

まさかこのような回答が来るとは
思っていなかったので、
私はとても驚いてしまった。

確かに原材料の配合を決めているのは
本社の研究開発ではある。

その配合順や配合量には必ず意味があるはずだが、
それをカワモトさんは何も知らないと言うのだ。

カワモトさんは本社から出てきた手順を
その通りに配合することにフォーカスし、
その手順が一体なぜ行われているのかは
全く考えない。

私にはそれがとてもつまらない仕事のように
思えてしまった。

学生時代に飲食店でアルバイトをしていたが、
その時も基本的にはレシピや手順通りに
作業をこなしていくだけであった。

だが、その配合や手順の意味を自ら考え
結論をだしていくことで、
私は知らぬ間に料理の基本をそこで身に付け、
今となっては基本的な料理なら
たいてい再現できるようにまでなった。

恐らく何も考えず手順通りに作っていたなら
このようにはなっていなかったであろう。

カワモトさんはまさにその状態であり、
仮に新しい商品が開発されて
その配合を彼自身がしたとしても
そこに学びは生まれないし、成長もない。

それではあまりにつまらないのではないか。

そんな風に当時の私は思ってしまったのだ。

だが、2週間カワモトさんとずっと作業をしていて
少しずつ自分のその考え方が偏っていることに
気が付き始めた。

仕事に成長を求めるのはあくまで
一つの考え方であって、
カワモトさんはそれ以外のところに
明らかに楽しみを持っていることを
知ったからである。

カワモトさんはゴルフが好きらしく、
仕事終わりに何となくゴルフの話を振ってみると
そこからタバコを丸2本吸い終わるまで
ゴルフの面白さについて語ってくれた。

恐らくカワモトさんはゴルフでは
一つ一つの動作の意味を考え、
どうすればスコアが上がるかを
考えていることであろう。

間違いなくゴルフというフィールドで
カワモトさんは成長を楽しんでいるのだ。

いうまでもなく仕事は人生で大きな割合を占める。

正社員として働くと嫌でも1日8時間は
労働時間として奉仕しなければならないし、
休憩時間や通勤時間を含めると
十分に一日の半分を占めてしまう。

なので、ついつい私はそこに大きなやりがいを
見つけるべきだと思っていた。

しかし、それはあくまで一つの価値観に過ぎない。

実際、カワモトさんに教えてもらった2週間が終わり
他の現場で研修をしている際にも
カワモトさんのように仕事に対してあまり考えずに
取り組んでいる人に何人も遭遇した。

彼らは決して仕事に手を抜いているわけではない。

しっかりと決められた手順を守り、
確実なものづくりに貢献している。

これはこれで立派な仕事の一つなのだ。

ある意味、私にとってカワモトさんは
人生で最初に遭遇した
「仕事に成長を求めない人」であった。

私が前職を退職した10年前以降
カワモトさんには会っていない。

私よりもかなり年上の方だったので
今も同じ仕事をされているのかはわからないが、
何だかカワモトさんがタバコを吸いながら
ニコっと笑う顔を見たくなった。

匂いというものは色んな記憶を
瞬時に呼び寄せてくれるものらしい。

今から思うと不思議だが、
当時現場で書類を書いたりする場所は
喫煙がOKであった。

前述したようにカワモトさんは
チェーンスモーカーだったので、
作業日誌を書きながら呼吸の代わりに
タバコを吸っているような状態であった。

さぞかしその場所はタバコ臭かったであろう。

今の自分なら絶対に入りたくない空間である。

もしかすると私が偶然通りがかりに嗅いだ匂いには
タバコの匂いも混ざっていたのかもしれない。


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