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「母性」を読んでみて感じたこと

以前にこんな記事を書いたことがある。

作家、湊かなえさんの小説を紹介したいと
書いた記事である。

私には何人か「この人が書く本は間違いない」と
思っている作家さんがいるのだが、
湊かなえさんはその中の先頭を走る方である。

そんな湊さんの作品で
ずっと気になりながらも手を付けられていなかった
作品が一つある。

それが「母性」である。

戸田恵梨香さんと永野芽衣さんが
主演で映画化されたことでも有名な作品で
以前書いた記事でもこの作品を紹介していた。

だが、私はこの作品になかなか手を付けなかった。

それは間違いなく心をえぐられる気がしたからである。

湊かなえさんの小説は登場人物の
心理描写がとてもリアルで、読み手に共感と共に
かすかな痛みのような感覚を与えるものが多い。

この「母性」はタイトルのように
母と子供(娘)の想いの交錯がテーマとなる
作品だということは以前から知っていた。

だが、そのテーマを湊さんに料理させた本は
間違いなく心をえぐられて
読後に心の痛みが来るだろうと私は思っていた。

それ故になかなか手を出せなかったのだ。

だが、先日本屋を訪れた際に、
私の目の前に文庫版のこの本が現れた。

これは機が熟したということだと解釈して、
私はそれを読むことを決意した。

そうして読み始めてみると
私が予想した以上に心がえぐられるような
話の展開であった。

映画版はどのように展開するのかはわからないが
小説では母、子、そしてナゾの国語教師が
交互に書き示した文章で展開されており、
お互いの思惑がかみ合いそうでかみ合わず
交錯してしまうという歯がゆさが満ち溢れていた。

そして、それと同時にタイトルにもなっているように
本書では母親と自分の関係性が大きなテーマとして
横たわっている。

「母性」という言葉が指し示す意味とは
少し異なるような気もするが、
この話に出てくるルミ子(映画では戸田恵梨香)は
自分の母との関係性、そして自分の娘との関係性を通し
色んな葛藤をしているのである。

そしてそれに対して娘がどのように感じたかは
描かれているのだが、
ルミ子が自分の母親から受けた愛情や
行動については
母親からの目線は一切描かれていない。

とある事故で残念ながら亡くなった
ルミ子の母親は娘であるルミ子からも
孫であるルミ子の娘からも神格化したような
存在として描かれているのだ。

この作品を読みながら私が最も疑問に感じたのは
ルミ子の母親は一体どのような気持ちで
娘であるルミ子や孫に接していたのかということである。

本書で起こる色々な思惑の交錯は
間違いなくルミ子の勝手な母親感に基づいて
起こっているのだが、
この母親感は紛れもなくルミ子が母親から
譲り受けたものではないかと思うのだ。

そして、その母親感はルミ子から
娘に引き継がれ、
話の最後に娘は母親となる姿が描かれている。

先ほども書いたように本書で取り上げられる
テーマは「母性」というものとは
少し異なるような気が私はしているのだが、
母から子(娘)へと引き継がれていくこの母親感を
母性と定義するならば
私達にもこの母性は間違いなく息づいている。

自分が親になり、子供たちと接していく上で
自分が子供だった頃に親から受けた言葉や態度と
同じことをしているなと思うことがしばしばある。

私は男性なので「母性」とは異なるのかもしれないが、
女性の場合はなおさらこのように感じる事が
多いのではないだろうか。

私達はいい意味でも悪い意味でも
親から受ける影響は大きい生き物なのである。

それがわかっているからこそ
そこに触れられることが怖くて
この本をなかなか手に取ることができなかったのだろう。

この作品は親と自分の関係について改めて考えてみる
とてもいい機会になったと思う。。

ちなみに、この記事はネタバレしないように
あえて内容には触れないように書いているが
ルミ子は名前を出しながらも
娘の名前はあえて書いていない点は
これから本を読む方に注目してほしいポイントである。

正直にいうと、本書は最後まで謎解きを
ハッキリとしてくれないので
読者としてはモヤモヤが残っている。

だが、あえて読者の想像に任せて
答えを出さないところが
湊かなえさんの小説らしさなのかもしれない。

この内容をどうやって映画で表現するのか
とても気になって仕方がない。

自分なりにもう少し咀嚼したうえで
映画版も見てみようと思う。


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