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自分を苦しめるものの正体は何か

昨日は土曜日であった。

共働き家庭の休日はなかなか忙しい。

いつものように朝活をしてから
部屋の片づけ、掃除をして
洗濯、朝食準備、子供の習い事準備などを
済ませて、子供たちが起きてくるまでの時間を
ゆったりと過ごしていた。

コーヒーを淹れ、妻と一緒に飲んでいると
ふと妻がこんなことを言った。

「しんちゃん(←実際こう呼ばれている)の顔が
先週より少し穏やかになってるし、
気持ちもピリピリしなくなっててよかった」

私自身全く自覚していなかったことなので
とても驚いたのだが、
どうやら妻にはそう感じられるらしい。

確かに思い返してみても
金曜日に家に帰ってきてから子供たちと接して
子供たちに怒ることもなかったし
土曜日の朝も穏やかにいつもの家事を
できた気がする。

では一体何が変わったのであろうか。

先週は何度か記事にも書いたように
海外のグループ会社の人たちが来日し
彼らと丸1週間を共に過ごしていた。

連日缶詰になって会議をし、
私が運転する車でサプライヤー訪問を行い、
そして食事や買い物までアテンドするという
我ながらよくやったなと思う内容であった。

金曜日にようやく解放され、
私はクタクタな体と心をもって帰宅したはずである。

純粋に疲労が原因ならば、
一昨日や昨日の私はよりピリピリしていても
おかしくないはずなのに、
結果はその逆で私の表情は穏やかになっていた。

先週は起きる時間こそ少しだけ遅くしたが
それも寝る時間が遅くなったために
調整しただけである。

そうして色々と思い当たる要素を巡らせていると
私の中で一つの可能性に当たった。

職場の人たちとの会話がほとんどなかったことが
原因ではないだろうか。

何度も言うように先週はずっと缶詰であった。
この会議のために色々な準備をし、
そして色んな決定を行った。

なので、基本的にこの会議の間は
日常の仕事はメールだけで対応していた。

そのため社内はもちろんのこと、
良くやり取りをするサプライヤーにも
この週は電話連絡がつかないことを
事前に連絡していたのである。

中には知らずに連絡してくる人もいたが、
その数は通常の1/10以下であった。

私にとって日常と先週の大きな違いは
海外の人たちとずっと過ごしたこと以外なら
この職場の人との会話の少なさしか
思い当たらなかったのである。

この理屈が正しければ私にとって職場の人たちとの
会話は負担になっていることになる。

そこで自分にとって彼らとの会話が
一体何が負担になっているのかを
考えてみると、次の3つの要素があることに気がついた。

(1) 責めるような言い方
仕事をしていると色んな問題に直面することは
当然のようにある。

そのような場面では当然ながら「今からどうするか」を
考えるべきなのだが、
多くの人はその事象を責めるような言葉から
始めがちなのである。

私は商品開発の仕事をしているので
試作品の評価結果や製造工程での不具合点を
報告を受けることが多いのだが、
「こんなもんあかんで」
「なんでこんなスペックで作ったん?」
直接的ではないにせよ、何かしらこちらの非を
責めるようなニュアンスの言葉を
受けることが多いのだ。

先週会話した海外の人たちとのやり取りでも
上手くいかないことやトラブルが
発生はしていたのだが、
彼らはそのように誰かを責めることではなく
いかに問題解決をするかにフォーカスしていた。

この違いが先週の私の負担を軽減したと
考えればごく自然な気がする。

(2) 丸投げするような言い方
先ほども書いたが、私の仕事は商品開発であるが
既に量産化している商品についても
当面の間、不具合点の監視をしている。

工場で量産を繰り返さないと
見えてこない課題点は必ず出てくるものだからである。

そのプロセスで不具合点が見えた際に
しばしばその問題点を丸投げするような
言い方をされることがあるのだ。

自分で言うのも何だが、私は仕事が早いほうである。

課題点に対する対応策を考え、行動するまでの時間は
社内のだれよりも早い自負があるのだが、
周りの人はそれに甘んじている。

それ故に、職場の人たちと会話をすると
妙な丸投げを受けてしまうことがあり
それが私にとって負担になっているのかもしれない。

(3) 愚痴を聞く時間
これは私の職場に限った話ではないだろうが、
私の職場においても色々な人が
色んな愚痴を言っている。

私はそれに巻き込まれないように
日ごろ意識をしているのだが、
それでも社内で会話をすると
否応なく巻き込まれることがあるのだ。

極力聞き流そうとしていても
同意を求められたり、意見を求められると
適当に返すわけにもいかず、
結局会話の終了まで私の中に毒だけを残す。

これが自分にとって大きなダメージを
与えているのではないだろうか。


これらの3つの要素が私を疲弊させ、
日常生活までピリピリさせてしまっているならば
当然ながら改善すべきである。

仕事をした結果生活の質が下がることなど
決してあるべきではないと私は思っているからである。

ではどうすればいいのか。

それにはそれぞれの要素に対して
自分の行動を変えていくしかない。

責めるような言い方に対しては
その言葉を出される前に
「では今からどうしましょう」とこちらから
提案をすれば嫌でも建設的な話になるであろう。

また丸投げする言葉に対しては
自分がそれを請け負わないという覚悟を持ち
明確に断ることで少しずつ避けることが
できるようになるだろう。

そして愚痴に対しては
責めるような言い方と同じように
自分から発言して話題を変えれば
いいのである。

周りの人からすれば不完全燃焼で
気持ち悪いかもしれないが、
そのようなケースが増えてくれば
私は自然と愚痴に巻き込まれる機会が
減るのではないだろうか。

逆に今は上手く聞き流しすぎてしまうがゆえに
私は妙に巻き込まれてしまうのであろう。

こうして考えて見ると
私がやるべきことはとてもシンプルである。

日ごろ何気なく自分にダメージを与えているものには
私たちは実は非常に無頓着である。

そうして気が付かないがゆえに
知らぬ間にそのダメージにより私たちは
何かを壊してしまう。

そうなってからでは遅いのである。

今回私は偶然にも日本に居ながら
これらの環境から離れる機会を得て
自分にダメージを与えているものに
気が付くことができた。

毎日仕事で疲れること自体は
決して悪いことではない。

しかし、その疲れが純粋にアウトプットしたものに
よるものなのか、
それとも自分にとってダメージとなるものの
影響なのかは慎重に見極めなくてはならない。

そしてもしその疲労が後者によるものならば
その対処を確実にすべきである。

そうすることで結果としてアウトプットに
エネルギーを使うことができるし、
生活の質も上げることができるのでは
ないだろうか。

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