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ちょっと、しずおかまで、あいに。 (15/40)

大学4年間すごした静岡にいってきた。

あの4年間は、じぶんの人生のなかで1/10の期間でもあり、いまから20年前でもある。

数年にいちどは行っていたけど、きょうほどゆっくりすごしたいちにちはなかった。
レンタサイクル(もちろん電動)で、北から南まで、記憶にあるところをまわってきた。

駅北の街なかは、ほとんどの店が入れかわっていたけど、まったくかわっていないものがあった。
街のところどころにあるオブジェやパブリックアートの作品を目にすると、当時とくに意識してみていなかったのにほぼすべて覚えていたというのが驚きだった。

思い出せない風景もたくさんあったけど、あえて地図アプリをみずに大学方面へむかう。
下宿先はまだ残っていて、住んでいた3階までのぼってみる。
くもり空でざんねんながら富士山はおがめず。

母校の静岡大学は、街にくらべるとほとんど変化していなかったのが印象的だった。
当時はもっと雑然としていたような気もするが、建物はそのままでゴミや備品がはみだしてなかった。

そして、その足で大谷海岸へ。
ボランティアサークルで海岸清掃に行っていた海は、ゴミもなくきれいだった。
街も大学も海もきれいなのは、世の中よくなっているということなんだろうか。

海沿いを西へサイクリングして北上して、学生時代いちどもいったことがなかった登呂遺跡へ。
2000年前にあったとされる、復元された竪穴式住居のなかに入ってみる。

大学にもろくに通ってなくて膨大な時間があったはずなのに、当時のわたしはなにをしていたんだろうか、と思い出してみる。
いまのわたしから思えば、とても限定された範囲のなかで暮らしていたように感じるのだけど、いまより自由だったように思うのはなぜだろう。

井の中の蛙大海を知らず。
されど、空の深さを知る。

そんなことばが、あたまをよぎる。
そして、こんかい静岡にきた理由でもあるギャラリーsensenciへ。
10年間まいとしテーマをきめて開催されていた写真展からセレクトされた100枚の写真をみにいく。

学生時代のときとかわらず、着いてすぐにご飯をごちそうになる。
ギャラリーオーナーの柴田夫妻からは、「小西くんおおきくなった?」と声をかけられる。
10年前にじぶんがとった写真をみる。
20年前にはじめてsensenciに来た日を思い出す。
そしてさいごに、杉山惠一氏の作品をみる。
60歳からはじめられたことに感動。

そんな静岡でのいちにち。
じぶんにもあってきた。


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