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続きを進む恐怖の途中


先日、とある国際学会で研究発表をしてきました。

すごく今さらなのですが、実は世界史関係の研究に携わっていて
割と真面目に研究もしております(真顔)。

国際学会は、最新の研究成果を専門家が発表・議論する大事なイベント。
今回の学会は800人以上の専門家・学生が一同に集まり、
お祭りのような1週間でした。

そんな国際学会の楽しみの1つは、
旧知の友人や同僚、先生と久しぶりに再会し、
近況報告をし合うこと。

これも今さらの情報なのですが
大学院生の頃に1年間オランダの大学に留学していて
苦しくも楽しい研究の日々をともにした友人がいました。

また、過去の国際学会を通して仲良くなった友人も少しばかりいるので
彼らとの再会はハッピーな出来事でした。
ちょっとした同窓会的な感じ。

その一方で、以前の学会にいたのに
今回は顔を見ることができなかった人たちもいて

必ず学会にいると思っていた友人の1人がいないことが気になりました。

自分:「 J は今回の学会に来ていないの?」

友人:「彼はやめてしまったよ」





そっか…






そう思うしかありませんでした。


やめてしまった友人 J は、
将来を期待された研究者として
素晴らしいキャリアを歩んでいて

大学院生ながらも大学で教鞭をふるっているほどでした。
留学中には、自分も彼の授業に参加し、
色々なことを彼から学びました。

友人であり頼れる先生のような存在であったため
今回の自分の学会発表にも顔を出して
感想や意見を聞かせてくれるものと信じていました。

そんな彼でも、
やめてしまったのか…



おそらく世界中の文系の研究者が直面する問題。
それは、
就職先がなくて、研究が続けられないこと。

研究職への就職を希望する若手の研究者の数に対して
研究職のポストの数が、圧倒的に少ないのです。

そのため、多くの研究者は
博士号の取得後もアルバイトを過ごして、
50~100倍ほどの競争率もありえる大学教員採用などのチャンスに備えるか
30歳を過ぎて違う人生を選ぶことを迫られます。

いくら優秀な研究者でも、
冷や飯を食べて過ごす時期を送ることも十分ありえます。


やめてしまった友人 J も
これから先の人生を考えて、
研究よりも大事なものを優先したのだろうな

そう思うと、本当に

「そっか…」


としか思うしかなくて

なんとも言えない気持ちになりました。


文系研究者の世界は本当に厳しいもので

やめるタイミング
やめる(べき)タイミング
やめ(たくな)るタイミング

が何度も何度も何度も訪れます。

「超」のつくほどの凡人である自分が
30歳を過ぎてなお研究を続けられているのは
本当に奇跡のようなもので
ただただ、周囲の先生・先輩・友人に恵まれたおかげです。

日本だけでも同じ分野の研究者志望の同年代の人は
おそらく大学生の時には50人を超えるほどいて
今は、残っているのは片手で数えられる程度。

ほとんどの人が、アカデミアの現実を見て
やめていく。

賢明な判断だし、
止めることもできない。

ただ、好きなことを話せる仲間が
一人、また一人減っていくのは、
どうしても寂しい気持ちになるのです。

もちろん
「現実を見て、やめたほうがいいのかな」
「不安だし、辛いことも多いし、やめたいな」

と思う時は、例に漏れず
自分にもあります。
半年に1度はあります。

そんな時は、歌に励ましてもらってきました。

特に
BUMP OF CHICKENの
「HAPPY」という歌

本当は歌詞の文脈は少し違うと思うけれども

悩んでいる人の心に確かに響くもの。


終わらせる勇気があるなら
続きを選ぶ恐怖にも勝てる
・・・
続きを進む恐怖の途中
続きがくれる勇気にも出会う

https://www.youtube.com/watch?v=RwCl11tyWP0

本当に、こうやって励ましてくれるのが
どれほどありがたいか。

これからも 仲間が減っていくような
寂しい気持ちになることは
度々あると思います。

彼らの「終わらせる」選択が
彼らにとって正しかった
そうなるよう、心から願いながらも

「続きを進む」
という選択をとった人たちにも
(自分もそうであり続けたいけれども)
良いことがあるといいな。


今までありがとう。
いつか普通の友人として、また会いましょう。

ライデン市の夜景
友人 J  と 一緒に過ごした街でした。


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