ポスト・ケインズ派経済学研究会 20221217 参加報告

本日の私は,題名に書いてある通りの研究会に聴衆として参加した。相変わらずyahoo地図のアプリを使ってその研究会の開催場所に着こうとした私なのであったが,アプリの特に目的地に近づいてくる頃に顕著になる杜撰さ(あるいは適当さ)のおかげで,予想到着時間よりも遅れた到着となってしまった。それでも開始時刻の定刻には間に合ったのでよしとしよう。

第一報告においては私を含めておよそ20人くらいの人が参加していたように思われる。その中の一人に,とある人物がいた。いわゆる「リフレ派」(リフレーション学派とでもいうべきなのだろうが,そしてリフレーションという言葉の意味はリフレ派の中でもまちまちなのであるが,ともかく金融政策プラス財政政策で(ここの順番を間違えてはいけない。リフレ派の人は,金融政策を先に考えるという点だ。安倍元総理のもとで行われたアベノミクスについて,金融政策は正しかったが財政政策がよろしくなかった,と考えるリフレ派の人は非常に多いように思われる。どういうわけかリフレ派の人は金融政策を否定されると逆上するのであるが,そしてその逆上の一端の理由としては金利に対する「経済学的ドグマ」を,MMTによってなされている「批判」から本能的に守ろうとしているのだろうが,逆上の理由の解剖はここではしないでおこう。)何らかのアンカー,例えばインフレ予想など,を決めた上で経済を好景気にしようとする人たちの集まりである。リフレ派の人たちは自分たちの理論を科学だと畏れ多くも僭称する場合があるのであるが,僭称できてしまうくらい賢いということなのだろう。ご立派なものだ!)の論客の一人であって,やたらとMMTを敵視している人である(大学で教鞭をとっている人である)。

第一報告の担当者である島倉氏と,ここで書いたリフレ派のその一人との間に,第一報告における質疑応答の多くの時間が割かれていた。島倉氏とその人物との間の質疑応答については,仔細に述べることはしないが,興味深い「雑談」が行われていたことだけは述べておきたい。(この「雑談」はリフレ派のその人物と,この研究会の閉会挨拶を担当した浅田先生との間になされていたものである。)その要点を箇条書き的に述べよう。

・MMTは自然利子率という概念を完全否定したいのだろう
・MMTには数学的モデルがほとんどない状況であるとしてもチャーネバ(the case for A Job Guarantee,という本の著者として知られている人)の論文くらいだと思う。数学的モデルがなければダメというつもりはないが数学的モデルがあれば議論が追いやすくなるのに。(浅田先生の「変動相場制下の開放経済における財政金融協調安定化政策について:動学的ケインズ・モデルによる分析」という論文をそのリフレ派の人は興味深く読んでいた模様である。)
・MMTは結局政治なんだよね
・MMTがBIを否定的にみている理屈がよくわからない
・貨幣本質論的な話(商品貨幣説だとか表券主義説だとか)と,経済政策論の話(緊縮とか反緊縮とか)とは,貨幣経済学の歴史を紐解くと必ずしも連関しているとは言えないし,少し強調的に言えば,経済政策論にとって貨幣の本質がどうだとかいう議論は「どうでもいい」ものである。(貨幣本質論的な話と経済政策論の話が繋がるのは良いことなのだろうが)

などなどあったのである。

第二報告については,島倉氏とそのリフレ派の人は帰ってしまわれたので第一報告よりも聞き手の数は減ってしまったのである。だが話の中身としてはこれも興味深い点があった。ケインズとカーンとの関係で,ケインズの「価格理論」についてカーンが影響を与えていたという点である。またカーンはもともと物理学を学んでいたようである。ケインズ自身が,ある程度は哲学者でありある程度は数学者でありある程度は経済学者であったと言える人物なのであるが,そのケインズに影響を与えていたとされるカーンが,経済学以外の分野を学んでいたというのは興味深く私には思われた。

そして浅田先生による閉会挨拶である。少なくとも浅田先生の認識ではMMTはポストケインズ派の「サブグループ」であるという認識のようだ。モズラーやミッチェルはどこへ行ってしまったのか,浅田先生の中には存在していないように思われるのだが。しかもこの認識は浅田先生固有のものではなく,どうも日本でMMTに触れた人の多くの認識のようなのだ。先に挙げたリフレ派の人もモズラーはミッチェルの話をすることは全くなかった。島倉氏の報告の中に,若干ミッチェルの名前は出てきていた。というぐらいの認識である。

一旦これくらいで本日の報告は終了とする。


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