貨幣に限界効用逓減法則は成り立たない

今回はちょっとだけ経済学の話をしてみましょうか.

1 限界効用逓減法則とは?

まずは, 世間的に知られている定義を紹介します. 引用元は, https://kotobank.jp/word/%E9%99%90%E7%95%8C%E5%8A%B9%E7%94%A8%E9%80%93%E6%B8%9B%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-60295 です.

「財1単位の増加から得られる効用すなわち限界効用は,その財の保有量 (消費量) が増加するに伴って低下していくという法則。たとえば2台目の自動車から得る限界効用は1台目の自動車から得るものより小さい。オーストリア学派によって確立された法則。最初に注目した H. H.ゴッセンの名にちなんで「ゴッセンの第一法則」と呼ばれる。」

ゴッセンの第一法則という名前は, あまり重要ではなくて, むしろこの中身が大切なのでお話しします. たとえば皆さん, 労働なり運動なり, なんらかの活動を終えた後に, 休憩として飲み物を飲んだり食べ物を食べたりするという状況を想像してみてください. 休憩に入れた時の, 最初の食べ物や飲み物からは, 非常に高い満足感を得ることができると思いますよね. しかし, これとおんなじ飲食物を二回, 三回, 四回, と体内に撮り続けた場合, その満足度はどうなると思いますか. 普通は, 回数を経るごとにその満足度は減っていくと考えられます. なぜならば, お腹が一杯に近付いたり, 飽きが生じてきたりするからです.

つまり, 物凄い圧縮すれば, 人間は同じサービスや財を受け続けると, だんだんとその満足度が減少するでしょ!というのを, 法則にまで仕立て上げたのが, 限界効用逓減法則なのですね. 本音を言えばわざわざ法則にまでしなくても, 当たり前じゃんという程度のことなのですが★

2 主流派経済学の矛盾の一つ

ところで, 主流派経済学(オーストリア学派はこの一部に分類される)における貨幣の認識はご存知でしょうか?これは基本的に, 貨幣をモノであると捉える認識になっています. たとえば, 国債発行によって金利が上昇するという認識を主流派経済学は持ちますが, これは貨幣はモノであり, ものは有限である以上, 民間からモノである貨幣を奪えば, モノである貨幣は希少になるから, その反映として金利は上がるはずだ, という貨幣認識に支えられているわけです.

さて, 貨幣はモノである, という認識が主流派経済学に横たわっているのだとしたら, こう思いませんか?貨幣にも限界効用逓減法則が成り立つのであると, すなわち, 同じモノ=貨幣を受け取り続けたら, その貨幣から得られる満足度は減るのであると!

ところが現実はどうでしょうか?貨幣をもらい続けることで, こんなにもらって良いのかな?という不安を覚える人はいるでしょうが, その不安が解消されたとすれば, もらい続けることで満足感が減るという人はいないのではないでしょうか!これは, 貨幣には, その他の財やサービスを, その種類を問わずになんでも買えるという特別な「効用」があるからですね. これがマルクスが貨幣について明らかにしたことの一つであります.

要するに, 主流派経済学は, 貨幣はモノであるという認識から離れられないのにもかかわらず, 貨幣に対して限界効用逓減法則を適用しないという, 矛盾を引き起こしていることになります. この矛盾に対してどのように主流派経済学者は静観することができているのか, 私には理解に苦しみます★

3 そもそも主流派経済学には生産の発想がない?

貨幣やものやサービスは, 事実を見れば全て人間の生み出した, 人間の社会的関係が生み出した実在なのですが, どうも主流派経済学者はこれを全て, 外在的な, つまり非本質的なものとしてみてしまう傾向があるように思われます.

「他の用途を持つ希少性ある経済資源と目的について人間の行動を研究する科学が、経済学である」

これは, ライネネル・ロビンズという人が, 『経済学の本質と意義』という本にて, 経済学を定義した文である. 今の主流派経済学は, 行動経済学も含めて, この路線を忠実に守っているように思われます. しかしこの定義を見ると, 圧倒的に人間理解の不足を感じてしまうのです. それは人間には自然やモノ, 場合によっては他の人間に働きかけることで財やサービスを生産する, 作り出すということができる, という側面がこの定義には抜けているからなのですね.

だから主流派経済学は, 国富全体が伸びる, あるいはGDPが増える理由の根源的理由として, 人口成長をもってこざるを得ないのです. つまり, 外生変数によってしか, 生産に関する, 特に増加するという意味での変化を記述することができないとする思想が主流派経済学にはあるのです. これは私からしたら, 人間理解の極端な矮小化にしか見えないのです★



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