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自分の 心とか世界は 誰が創り出しているのか…【11】〈魂の救済〉

自分の心の想いや 言葉 そして行いは その人のもので 間違い無く その人自身が 創り出しているものなのだけれど……

一つ前の記事にもあげたように、自分の本心を偽り「自分」を演じた場合。別人を装っている…ということになります。

なんとなく 分かると思うのだけれど…。

これは「般若心経」の中で語られているように、「空」である状態に「形とか、色など」を付けてしまっているのは この場合「自分自身」である。ということになります。

「形とか色」って 安易に変えられてしまうのですね。創造出来る 人間の特権のようなものですから。

その自分の「形とか色」を他者に よく見られたいから「自分を装う(偽る)」状態が生まれることも多く、その装い(偽り)とか アファメーションといったものが逆に 良い目標としての「型」となって そこを目指し より善い人間となってその型に嵌って馴染んで行くことも可能です。


仏様等は逆に「乞食」を装い 人の心をはかる……など 「空」である状態から 人が「嫌う」状態にわざと自分の身を置いて 人々の反応を観る、人々の本質を観る……ともいいます。この時 注目したいのが、例えば「乞食」を装うのだから 人々からぞんざいに扱われたとしても それに対してなんの感情も湧くことは無い…という点です。それは「空」であることを分かっているからです。

以前「白隠禅師と赤ちゃん」の記事をあげました。その中のストーリーから分かるように他者からの誹謗中傷はこの場合「他者が勝手に付けている〈色〉」に過ぎない、という点です。

色眼鏡を掛けて 〈他者とか その人の観る世界〉は 「白隠禅師」の本質と掛け離れたものです。

本質を映しているものでは無い。

それを分かっている白隠禅師は 他者から、また、置かれている環境の中で酷い扱いを受けても まったく動じることなく 生まれたばかりの赤ちゃんの貰い乳や世話に日々勤しんでいたのです。

そうやってみると
人の心という「空」であるはずのものを 「どんな風に色や形」をつけてしまうのかは その人の心が決めている……ということにもなります。

もうちょっと言葉を使うならば
「空」であるはずなのに いちいち他者が創造してしまう「形や色」を気にして 自分の本質を磨くことに時間を割くのでなく 外見よく見せようと画策している状態はとても滑稽に見えます。

そうすると……
目の前の世界をどう その人が色や形を付けるのかによって その人の世界も その癖に偏りが生まれ その世界は展開して行くことにもなる。

……どうかな?

こうやって自分の現実目の前に映し出される世界を観ると…それは単に自分の心を映し出しているものに過ぎないと 感じられるかもしれない
(*´・∀・)*´-∀-)ウン

だから 自分の心の有り様が あなたの世界そのものなのだということを知って欲しい。

舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄
不増不減

••┈┈┈┈••

舎利子よ この世の全てが「空」なのですから

生じたり滅したりすることなく
汚いとか綺麗といったことも無く、
減ったり増えたりすることも無いのです(空なのです)。

是故空中無色
無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界

••┈┈┈┈••

従って「空」の中には物質的現象も無く
感覚、想像、意志、判断の精神的作用もありません。
目も耳も鼻も舌も無いし 形も声も香りも味も触れられる対象、心の対象もありません。

目の領域から意識の領域に至るまで
全ては 無いのです。(空なのです)

••┈┈┈┈••
眼、耳、花、舌、身、意とは【六根】のこと。眼、耳、鼻、舌、身、は身体の五つの器官、意は心の働き。人間の認識能力を示す。

色、声、香、味、触、法は六根の対象のことで、六境と呼ぶ。六根と六境が合わさり六識(認識)が生まれる。
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