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『日本語教師のコミュニケーション力向上のために(私の体験談②)』

前回、この記事を発信したところ、多くの反響をいただきました。
ありがとうございました。

まず、前回も書きましたが、この「日本語教師のコミュニケーション」記事の発信の目的は、
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多くの日本語教師との人間関係で経験してきた、私の身に起きた「辛いこと」は、できるだけ、新しい世代の方に残したくない、という気持ちからです。

それは、子ども達に住みやすい環境を残してあげたい、、、という気持ちと同じで、

夢や希望をいただいて
「日本語教師になりたい!」と思って下さっている皆様のために、少しでも居心地のいい環境が残せたらと、微力ですが、私にできることを情報にしたいと思います。

日本語教師は、とても夢のあるステキな仕事です。どうぞ次の世代の皆様、自由に、のびのび、自分らしく世界で活躍して下さい。
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です。

少しでも、こんな世界に、1日でも早くたどり着けたらいいな、、、と願っています。

日本語を教える皆様は、外国人の皆さんにとって
「日本語を使う先生」ともいえます。

正しく教える、、、ことだけではなく、「心が伝わる・心がきれいになる言葉使いとその意識」も一緒に伝えてもらえたら、、、、と思っています。

日本語は、「コミュニケーション = 意思疎通」までが繋がっていると捉えて、「意思」の部分まで意識して下さったら、きっと日本語教師の価値は、いろいろな意味で上がっていくと思います。

それも「世界」で。

・・・・・・・・・・・・・・・

私は、カフェである日本語教師の🌼さんと話をしていました。

私とその方には、共通の知人がいます。

その日本語教師の🌼さんと、共通の知人は、数年来の関係で、いい関係を築いてこられたようです。

私もとても尊敬している方です。

ですが、その🌼さんが、

「確かにいい人なんだけど、実は先日、大切な話をしてる時に、その人が「え、そのくらいのこと?」というようなことを言われたんです。
でも、私にとってはとっても大切なことで、悪気はないって分かってるんですが、でも、なんか「その人の本性見たな」って思っちゃって。人って、そういうとき、本性でるじゃないですか?!いくら普段いい顔してても。」

とのこと。
(内容は伏せます、すみません。)

私は、この言葉が嫌いです。

・何年いい関係を築いても、
・一瞬の発言で、それを「本性」と繋げて捉えてしまう感覚

が、好きではありません。

この
「何年いい関係を築いても」

より、
「一瞬の発言で、それを「本性」と繋げて捉えてしまう」

のですか?

だから私は、人生で、このことを
「数え切れないほど耳にしてきた」のですが、
「一回も使ったことがありません」

人には、いろんな状況や気分があります。
瞬間的に。

もしかしたら、本当に本当に
「本性」
かもしれません。

でも、
「数年の付き合い」 VS  「一瞬」
で、勝負できます?!

もっと、信じながら聞いて欲しい。
もっと、一瞬のことは、少しくらい許しながら聞いて欲しい。

こういう言葉を使ってしまう、ということは、きっとどこかで「外国人」にも使ってしまう、ということに繋がりかねません。

文化も違う、価値観も違う人に「本性」という決めつけをすることの固定概念と、もしかしたら差別感までもが含まれることもあるかもしれません。

そして、普段使い慣れてたら、「無意識に」使ってしまうかもしれません。

せめて日本語教師は、職業柄、立場柄、このような部分にまでも意識を尖らせてもいいのでは、と思っています。(自分のコミュニケーションに自信が持てる一つの習慣になるのでは、と思います)

っということで、これを読んで下さった日本語教師の皆様は、

(私の勝手な提案として、、、)
①「本性が見えた」とは、使わない(悪意がこもっている場合は)

②他の人がこの言葉を使っているのを聞いたら「本性っていうより、なんか理由でもあったんじゃない?だって、そんなこと言う人じゃないよね。」と、賛同しないで、少しだけフォローして下さい。

③もし②が難しかったら、最低でも「あの人の本性見えたよね」って聞いたら「え、そうかな〜。」と、「賛同しない」だけは貫いて下さい^^;

日本語は、きれいで優しい言葉なので、心も意識も「優しさと許し」に満ちた世界になって欲しいな、、、と願いながらのご提案です^^

もちろんですが、「日本語教師業界」も、どの世代にも、更に優しい世界になってほしいなと、願っています。

私が新米日本語教師だったら、こんな世界が待ってて欲しいな、、、と思って書きました^^

Chihomi


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