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地底の果てで待っている


今年に入ってから曲のレビューばかり書いている気がしますが、これも書きます。ハンジソンを推していて良かったと思ったこと、本当に数え切れないくらいありましたが、この曲を聴いてまた一つ里標が立ちました。ありがとうございます。

以前SKZ-REPLAYのRUNの感想で「ハンの世界には誰もいない」といったニュアンスのことを書いたのですが、というか私は今までこのnoteでハンの世界にはハンしかいないのではないか?ということをずっと言ってきたつもりなんですが、ここにきてようやく他者の血肉を感じる曲が来た、と思いました。
ハンは作詞においてSLUMPやAlienなど自分(の経験)に関しては割と雄弁な方ですが、誰かの話になった途端に間に一枚挟まる印象がありました。Wish You Backのように完全に架空の物語からインスピレーションを得て「あなた」の歌に落とし込んでいくというのも、自分とスクリーンの向こう側との強固な線引きを感じるのです。結局自分は「あなた」の傍観者でしかないと。
このVOLCANOももしかしたら元になった物語があるのかもしれませんが、しかしそこには同じ地平に立つ「あなた」がいる。何かしら心境の変化があったのか、それとも私が間違っていて最初からちゃんとそこにいたのか。どっちでもいいです。痛くてもいい、傷つけられてもいいと思えるくらいの存在がハンの世界にあることが分かったので。極論、あなたがどんなに僕を嫌いでも(痛みを与えようとしてきても)憎くても(傷つけてこようとしてきても)僕はあなたを愛している、とも取れるエゴイスティックさがハンらしくて私は好きです。



歌詞についてももっと色々と触れたいのですが、「僕を地底の果て 君のもとへ連れて行って」もうここ一点だけにします。VOLCANOは火山、噴火口であり、最初はそこから燃え上がる炎を連想していたのですが、まさかハンがその真逆の熱源、底に意識を向けているとは思いませんでした。
地底の果てでは誰が待っているのか?それは死者です。古今東西、土の下は死者の国と相場が決まっています。ギリシャ神話に出てくるオルペウスは毒蛇に噛まれて命を落とした妻・エウリュディケーに会うために冥界へ下ります。まあこの死者云々というのは単に私の飛躍ですが、もしかしたら彼らも待ち人との邂逅に燃え盛る痛みを伴いながら抱擁を交わしたのかもしれません。
もし人間の心臓が一生のうちに鼓動する数が決まっているとするならば、身を焦がすような激情はそれだけまっすぐ死へ向かっているとも言えますし、死んでも会いたいくらい大切な人がいるというのは、それだけで幸せなんじゃないかなあと思った次第です。

𝘏𝘢𝘱𝘱𝘺 𝘝𝘢𝘭𝘦𝘯𝘵𝘪𝘯𝘦’𝘴 𝘋𝘢𝘺 𝘵𝘰 𝘏𝘢𝘯 𝘑𝘪𝘴𝘶𝘯𝘨!


(終わり)

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