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Dish of Lives

夢を叶えられる人と叶えられない人とでは何が違うのだろう。

この世界に生きる人々は皆、少なからず人生に一度将来ああなりたい、こうなりたいと考えることがあるはずだ。だが、人生を思い描いた通りに歩んでいる人など1割にも満たないのではないだろうか。
もちろん夢を叶えることが人生の全てではないし、叶えたからよし、叶えられなかったら悪し、ではない。

だが、夢を見る人、夢を叶える人とでは決定的な違いがある。それは「夢」を何と捉えるかだ、と私は考える。

夢とは人生のスパイスではない。

夢とは、人生という器そのものである。夢を叶えるとは、器そのものの形を変える覚悟を持っているか否かではないだろうか。

つまり、夢は今ある現実の味を誤魔化すためのものにしてはならないとも言える。
叶えられない人は、まず今の自分で全てを何とかしようとしてしまう。自分を「夢を叶えられない人」とは思いたくないからだ。夢を見て、何も行動を起こさず理想の自分ばかり見てなんにもない自分に、あたかも今の自分は本当の自分ではないかのようにスパイスをかけまくる。そうするとどうだろう、今の自分から、現実から逃避することが可能だ。だが、肝心なのは現実から目を逸らしているだけで、現実に理想というフィルターを用意して今の自分を自分で許したいだけなのではないか、と思うのだ。

今の自分は、自分の思い描く自分になれていない自分は、どんなに塩胡椒を振りかけようと、どんなにマヨネーズを塗りたくろうと変わらない。

「人生」という土台に載せるものは、そんな情けない自分なのか?自分の現実を味わう舌を狂わすほどの「夢」で誤魔化してもなにも変わらない。その土台に自分の落ち度や欠点という穴やヒビがあれば、それは気付かぬうちに、いや、最初からどうなるか分かっているのに見て見ぬ振りしているうちに、その調味料ごと流れ出て行ってしまう。何も残らない、積み上がらない。

夢を叶えるとは。皿の上に載せる料理をなんとかするのではなく、料理を載せる器そのものを見直し、建て直し、或いは破壊して一から構築していくことなのではないだろうか。

簡単なことだ。あれがあるからこれが出来ない。だから今の自分は理想通りでなくても仕方ない、あの人は特別だから。いずれ、いつかはなれる、大丈夫。そう誤魔化すために「夢」を用いて何になるというのだろう。

周りを見渡して輝いている人たちが味わっている「自分にはない理想」の味へ近づけるために夢をスパイスに使っても、土台がしっかりしていなければ、自分には出来ないことをなし得ている人達の功績は盛り付けられるわけがなく、その味に近づけるために、今の自分を誤魔化すために調味することはただの現実逃避だ。

自分に足らないところを認め、穴を埋め、傷ついても自分という土台が割れてしまっても、諦めない。なぜ穴から漏れ出てしまうのか。なぜこんな簡単に割れてしまうのか。何故、自分は輝いている周りの人とは違うのか。
穴から、ヒビから、脆い自分から逃げない。土台そのものをなんとかしようとする。土台が変われば載せる料理も変わってくる。ごちゃ混ぜの自分が美味しければそれでいい、いや、自分の舌を誤魔化せればそれでいい、とはならない。

この土台に載せる最も美しい盛り付けは何か。自分を周りから見て一流と思わせるためにはそもそもどんな料理にしなければならないか。材料が足らない、いやこれで代用が利く、あと少し頑張ればコース料理が完成する。

こういうことを考えられるのは、そもそもの土台がしっかりしていなければ始まらない。見かけや建前、プライドのために、土台を見直さず、自分から逃げ、ただ味を誤魔化しても何も変わらないことに気付いているのにやめられない。自分を否定したくないからである。ひょっとしたら今の自分には無理かもしれないと気付きたくないから。

ここで諦めてしまうからなにも変わらないことを知るべきだ。今の自分を否定しなければ再構築など、夢を叶えた自分を人生という器に載せることなど土台無理な話なのだ。

自分に足らないところを認め、自分には理想通りに出来ないことを自覚し、そこから逃げない。目を逸さなければ、歩みを止めなければなれるはずの自分を誤魔化さない。
夢を叶えるとは、理想という麻薬に逃避せず、不味くても苦くても酸っぱくても自分を誤魔化さないことなのだと私は思う。夢を叶えるとは、憧れの、輝いている周りの誰かになることではない。現実から逃げなければなれたはずの数歩先の自分になっていくことなのだ。

理想の誰かになるんじゃない、夢を叶えるための自分になる、なっていく。

夢から、自分から、人生から逃げるな。取っ掛かりは、足掛かりは自分で作る。上までいけなければ形を変えて目標という名の階段を作り、一段一段登っていくしかないのだ。

夢を一足飛びに現実から逃げるものにせず、現実を夢という首をすげ替えて誤魔化さず、夢を現実に置き換えて自分を塗り替えていくことが、「自分の人生を生きていく」ということだ。

「夢を叶える」とは、夢を味わうことではない、「現実を適える」ことなのだから。

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