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時間は何かと聞かれたら

時間は波だと答えるし。時計は何かと訊かれたら、時計は塵だと答えるさ。
八十八ヶ所巡礼、というバンドがある。

そのバンドにまつわるツイートで、好きな音楽ならば死んだときに口ずさめるかもしれない、というのがあったのをよく思い出す。死んだときにはおそらく、金も地位も名誉も何もかも墓まで持っていけやしない(これは感覚ピエロの感染源の歌詞だな)。けれど、音楽であれば。自分の頭の中にそれが鳴っていれば、何にもなくなっても口ずさむことができるのかも。音楽が好きな私としては、それは救いだなぁと思う。死後の世界なんてものがあるかは半信半疑だけれど、少なくともすべてを失ったとしても。好きな音楽をわたしの脳内から消すことは誰にもできないだろう。

脳内、つまり精神世界というものだけは、誰にも奪うことはできないものだと思う。子育てをしていると、できるだけ彼女たちのそれがわたしの干渉によって偏った色にならないようにしたいな、とも。わたしがいなくなったあと、彼女たちを支えるものは、きっとそこに根付いていくのだと思うから。

時間は波のようだけれど、返っては来ない。毎日忙しなく過ごしているうちに、あっという間に彼女たちはわたしの手を離して生きていくようになるだろう。そのときに生きていくことに迷ったとしても。長いトンネルのような、真っ暗な夜が訪れたとしても。希望のようなかすかなものが、できるだけ多く散りばめられていられるように、今日も1回限りの新しい日を生きていきたいなと思う。


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