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好きを仕事にしたけれど

フリーランスのアニメーション制作をスタートして、今年で15年目になる。

デジタル作画、AE編集を中心とした映像制作で、1〜6年目はテレビ番組がほとんどだった。そこから広告、web、シリーズ系のアニメなど、動物/かわいい系を中心に手書きアニメを作っている。

作ることは好きだし楽しい。ただ、一人で食べていくこと以外の目標がなくて困っているという話を書く。


学生時代

高校生のときから絵やデザインの仕事をしたいと思っていた。
その流れで美大に行ったがクラスメイトは上手な人ばかりで、風景画、タイポグラフィ、写真、広告など、講評会で完成品を並べたときに、自分はひどい作品しか作れないことがよく分かった。

唯一、評価が良かった(そしてストレスなく制作できた)のがアニメーションだったので、卒業作品ではアニメ映像を作って完成させた。

就活は10社ほど受けたが落ちて、卒業後1年はフリーター+ニート生活になる。そもそも、基礎コースで作らされた課題が「就活のときポートフォリオとして役にたつ」ということも知らなかったので、作ったものはけっこう捨てたりしていた。


卒業後フラフラしていたとき、芸大に新しくアニメーション専攻ができると聞いて、受験をして大学院に進学した。


フリーランスになってから

在学中にアニメ仕事をいただいて、修了後そのままフリーランスとして働き始めている。憧れていた番組で制作できたり、社会人になって数年は夢のような時間だった。

やりがいもあったし楽しかったので、ほとんど休まず働いていた。睡眠時間を削ったりして身体を壊してしまったが、それは別に後悔していないし、しっかり頑張れて良かったと思う。

すごく雑な例えになるが、オリンピックを目指して特訓して出場して金メダルを獲れたという感じだ。


そしてこれから、同じことを続けるのか、教えたり人を育てる側になるのか、どうしたものかと思ってこのような文章を書いている。

続けるとしたら「もっとメダルを集める」になるんだけど、自分は2〜3枚で満足するタイプなので、あまり強いモチベーションがあるわけではない。「100枚でも200枚でも、もっと欲しい!」みたいな野心が強い人は、会社を作ったり活躍の幅を広げていくのだろう。

たくさんの人に「見たよ!」と言われて嬉しかったが、それも最初だけで、たぶん承認欲求のようなものがあまりないんだと思う。


20代後半は、休まず働いていたせいか帯状疱疹やうつ状態が頻発して、私生活ゼロの状態だった。親しい人間関係もなく、身体を壊して入院したときも見舞いに来てくれたのは仕事関係の人だけである。

そこから少し土日は休むように気をつけたりして、30才ごろ好きになった人と付き合うことができたが、家族にはなりたくないと言われたので別れてしまった。

趣味も色々試してみたが、続いているのは全部一人で完結するものばかりで(読書、映画、デイトレ)コミュニティもとくにない。


終わりに

「絵を描くことを仕事にしたい」の夢を叶えてからは
なんだか余生のような毎日で、親を看取ってあとは死ぬだけだなあと思う。

最近やっと分かったことは、夢を叶える=さらに続ける権利を手に入れた状態 ということだ。
中学受験が上手くいったら、もっと勉強をする。美大に受かったら、もっと絵を描く。仕事をしたらもっと仕事がくる

とくに明快な結論があるわけではない。
好きなことを仕事にしたら幸せだろうと思っていたら、働くことが苦痛ではないというだけで、なんだか当たり前の毎日だったという話である。

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