唯物論と実感尊重

過去に何度か触れていると思いますが、哲学は日常に潜む「論理」(これをヘーゲルは客観的概念と呼ぶ)を自覚的に取り出し意識化に置く「だけ」の学問です。これ即ち、哲学はその本性上、日常生活から遊離してはならないということだと思います。

私も師事している先生から、日々、「哲学をしようと志すなら、世の中の『権威』や世間の『常識』や他人の顔色などを気にせず、何よりもまず自分の実感にこそ忠実に生きなさい」と教えられ、日々それを胸に勉強なり研究なりをしているつもりでした。

しかし、それは何故なのでしょうか。先生の教えだからといってそれを無批判に受け入れるのは学問的ではないと思い、今日時間があったので考えてみました。テーマは「学問における実感尊重の大切さ」です。

何故、学問をする上で実感というものをそれほどまで尊重しなければならないのでしょうか。ここが本テーマの出発点であり、重要なポイントです。そもそも学問とは人間という認識主体が客観世界を分析し思考することです。そしてこの認識主体は然るに人間以外ではあり得ません。

では人間はどのように客観世界を認識するのでしょう。それは「経験」に他なりません。思うに、これで出発点の疑問に答えられることになります。それは、「実感の基礎を成す個人の経験こそが一切の認識の源泉だから」という事です。

人間は誰でも自分の経験したことを分析して自分の思想を作る以外に道はないでしょう。自分の経験の中にないことをどうして分析できるでしょうか。たしかに人の話を聞くとか本を読むという事はありますが、それも読んだり聞いたりした範囲内でその人の経験の一部を成すことによって、その限りでその人の思想の元になることができるのです。ですから小説を読んだりすることを「間接経験」と言ったりするのです。
つまり、「経験」というのは認識の源泉であるとともに「主体性の根拠」ともいえます。「経験豊富な人は自分の意見をしっかり持っている」などと一般的に言われる所以です。

このように経験というものは主体性の根拠であり認識の源泉をなしているのですが、この問題を一層深く理解するためには、経験についての唯物論的理解と観念論的理解とを知っておかなければなりません。(唯物論と観念論の違いは1つ前の記事にまとめています)

再度レーニンからの引用になりますが、彼はこの点について次のように書いています。

「唯物論にとっては、実際感覚は意識と外界とを直接関連させるものであり、外界からの刺激のエネルギーが意識の事実に変化したものである。・・・(略)・・・観念論哲学の詭弁はどこにあるかと言うと、それは感覚を意識と外界とを結びつけるものとしてではなく、意識を外界から区切る仕切りか壁として受け取る事、つまり感覚を、感覚に対応する外界の現象の像とみなすのではなく、『唯一の存在者』とみなすことにあるのである」(『唯物論と経験批判論』)

ここでは感覚=感覚的経験について述べられていますが、これは経験一般について、つまり知的・精神的経験についても言えることだと思います。
慣れてない人には少し分かりにくいかもしれませんので、以下簡単に説明します。

ドイツの文豪にシラーという偉大な人がいるのですが、氏はこんな箴言を残しています。曰く「他人を知らんと欲せば、すべからく自己自身の心を伺うべし」どんな人間が何をするにも結局自分から出発して自分を基にして考える以外の方法はないということです。そして、そこから、自分の経験を純化して、それを媒介に他人や対象を考えていくのです。言い換えれば、外なるものを内なるものにし、内なるものを外なるものにするという事です。これが先のレーニンの唯物論的経験概念の理解です。

他方で、レーニンも軽蔑している観念論的な感覚尊重は、この「外なるものを内なるものへ、内なるものを外なるものへ」の後者が無いあるいはその外化が不十分なものと言わなければなりません。そして、これでは真の主体性を確立することが出来ない、そう言っているのです。

従って、「内なるものへ」と「外なるものへ」を統一することが大事なのですが、それをする道は、一般的に言い表すならば、主体性を持って外化し、客観性を持って内化するということになるのでしょう。ここで注意しなければならないのは特に後者だと思います。

経験したことをそのままにして自己の中に閉じ込めるのではなく、広く外に開かれた実感尊重こそが大切なのです。それでは、「広く外に開かれている」とはどういうことでしょうか。経験を尊重しながら自己に閉じこもらないようにするにはどうしたらよいのでしょうか。

個人的なことになるので詳細は控えますが、私は昨日、とても衝撃的な「経験」をしました。そこでふとこのテーマを理論的に深めてみようと思い、考えた結果、更にまた上の問題意識へと帰結しました。これは私だけでなく、皆さんにも重要かと思いますので、考えてみて下さい。今回は以上です。

(2019年1月13日 執筆)