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腕時計はキリがない|Apple Watchをやめた理由

 腕時計は種類が多すぎて選ぶのが(あるいは選ばないのが)大変だったという話。

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 ファッションはもう限りなくシンプルに、かつ服の数も少なくするようにしているので、割と自分にとって心地いいスタイルが出来上がっていた。
 そんな中でふと腕時計だけがさすがにチープすぎるかなと思い、何か良さげなものはないかと探し始めた。

 しかしながら、腕時計には特に興味がない。またピンからキリまでありすぎてどれがいいかもわからない。別に気に入ったものを選べばいいのだが、探した中ではこれだというものは見つからなかった。

 ただ唯一興味があるのはApple Watchだった。iPhoneとMacユーザーだし、デザインも割と好みだし、どうせなら様々な機能があった方がいいかと思って。

 しかし問題は、かつてApple Watchを買ったものの(確かシリーズ4だった)、自分にとっては大して有用とは思えず、手放した経験があることだった。

 当時を振り返ると、Apple Watchがいらない理由がいくつも思い出された。

・充電がめんどい
・ガジェットが多いと管理がめんどい
・そもそもスマホの通知ですらほとんど切っているような人間
・電子マネーが意外に使いづらい(左手首に固定しているため)
・気になって触ってしまいがち=時間、注意資源の浪費
・シングルタスクが阻害される
・寿命が短い=買い替えコストがかかるから使用し続けると高くつく

 ……などなど。
 逆に良かった点は株価がすぐに見られるのと、ナビ機能がある。しかし今は即時に株価を見る必要はないし、ナビを使う場面も当時から滅多になかった。

 といった具合に、どう考えてもいらなかったので、Apple Watchを買うのはやめることにした。
 よく使わないものは買えないタチだった。それならよく使うもの(iPhoneやMacBook、バイクなど)にお金を回した方がいいと思ってしまうので(無駄=遊びもいるかもなあとは思いますが)。

 しかし、じゃあ他に何かいいのがあるかというと、やはりない。
 特に欲しくないなら安くて時計としての質が十分であればいいかと思い、CASIOのデザインが好みなやつを適当に選んだ。

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「キリがない」というのは選択疲れに繋がる。
 もちろんそれが好きな分野なら楽しめるだろうが、そうでないならめんどくさいだけだろう。

 そしてもちろん何が好きかは人による。一般的に「良いもの」「必要なもの」とされているものを、なんでもいい(どうでもいい)と思うのは別段意外なことではない。
 腕時計以外でも、服、スマホ、家、車、あるいはモノ以外でも、勉強、仕事、旅、恋愛、結婚などに対しても言えることかもしれない。

 なので、めんどいという気持ちにもう少し素直に従ってもいいのではないだろうか。
 そんな話でした。

✅Kindle本でもめんどいについて語っているのでよろしければどうぞ↓


その分活字を取り込んで吐き出します。