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カブの旅 最終話「さよならは言わない」

 キーを回す、エンジンをかける——最近はセルスイッチが故障したまま直していないので、キックスタートで火を入れる。後方確認する、ギヤをローに入れる、アクセルを捻る。
 それらの一挙手一投足が、これで最後になる。

 僕とカブは、とあるバイク屋に向かって走っている。
 僕も、そしてカブも無言だった(*忘れているかもしれないけど、というか僕も忘れかけていたけど、一応このシリーズでカブは喋る設定である)。
 話すこともなく、その必要もない。僕らにはもう言葉なんていらない。
 なにせこれまでの4年間、ほとんど毎日共に過ごしてきたのだから。
 けれども、それも今日で最後になる。

 あと少しでバイク屋に辿り着く。
 今日は新車の納車日で、そしてこのカブの下取りの日だった。
 つまり、別れの日だった。

  *

 そろそろ買い替えようかなとは思っていた。
 初めて購入したこの中古のスーパーカブ110(JA07)に乗って4年が経ち、ある程度自分がバイクに求めているスペックやメリット、また自分のバイクライフスタイルがどういうものかわかったため、それに見合ったバイクに乗りたい欲求が出てきたからだ。
 また、カブが少しメンテナンスが必要になってきたところでもあって(前述のセルスイッチやタイヤ交換など)、となればその費用を買い替え費に回した方がいいのではないか、などとも思って。

 しかし、日常使いで箱をつけたカブは非常に便利で、ほとんど街乗りしかしない僕にとってはカブこそ最適解なのではという思いがあり、また目当てのバイクは新型なので、昨今の流通事情により、買うにしても半年から1年は待つことになりそうだったので、なかなか決め手に欠けていた。
 だから、カブはまだまだ使えるし、来年以降在庫が出てくるようになったら買い替えればいいか、くらいに思っていた。

 そんなところに、たまたま近くのバイク屋で目当ての新車が1台だけ即納可能で販売しているのを見つけた(たまたまとはいうものの、欲しさはあったのでネットで随時在庫がないか探してはいた)。
 *その新車については追々別途記事にするかもです。

 見つけてしまった。

 こんなの絶対すぐ無くなると思った。だから買うなら今しかない、次のチャンスなんていつになるかわからない、とも。また悩んでいる時間ももったいなく思っていたので、ほとんど即断で購入を決めた。

 決めてしまった。
 カブとの別れを。

  *

 そのことについて、カブは賛同しかしなかった。
「いつか買い替えられるのはわかっていたことだ。それに元々、私にしたのはお試しだったのだろう?」
 その通りだった。はじめてバイクを、このカブを買った時は、まだバイクにどれだけ乗るか、乗り続けるのかもわからなかった。だからとりあえず安い中古を買ってみたのだ。
 そしたらこんなにライフスタイルにハマった。楽しかった。
 それをカブが教えてくれたのだ。

「愛車と買い替えで別れるのは、むしろ幸せなことだ」とカブは言った。「事故などで廃車になるよりはな。寿命で死を看取るよりももしかしたら幸福かもしれない。下取りされたなら、また誰かに買われて、どこかで元気に走ってると、元の持ち主が思えるだろう」
「……そうかもしれないな」
 カブはまだ3万キロちょっとしか走っていない。10万キロ走っても余裕とも言われるカブなら、まだまだ走り続けることだろう。
「……じゃあ、さよならとは言わないよ」
「ああ」
「でも……ありがとう」

 カブは何も言わなかった。
 それ以降、下取りの日になっても。
 そもそも、このカブは本当に喋っていたのだろうか。
 今となっては定かでなく、確かめようもなかった。

  *

 バイク屋に到着して、新車納車の手続きを行う。最後にカブのキーを店員に渡して、カブは僕の手から完全に離れた。

 カブはやはり何も言わない。僕は寂しさを覚えそうになるも、その必要はないのだと自分に言い聞かせる。カブはまた、誰か必要とされる人と共に走ることだろう。カブはまた、その人が現れた時に、「カブが欲しいか?」なんて言って、自分を売り出すに違いない。そんな光景を想像すると、僕はむしろ嬉しくなった。

 新車に跨り、カブでないバイクのエンジンをつける。
 ここからまた別の、新しい物語が始まるのだ。
 左右を確認して、車道に合流する。
 その顔を振った瞬間、バイク屋の店先にいたカブが視界に入った。丸いライトが日を反射して、僕の目を射る。
「——またな」
 僕は応えて、走り出す。
 いつの日か、どこかの道で、あの緑色のカブとすれ違う時を楽しみにして。

あとがき

 最近はあまり更新をしていませんでしたが、これにて4年間続いた「カブの旅」マガジンは完結となります。
 更新が少なくなっていったのは、カブに乗っていなかったわけじゃなくて、記事になるような場所にカブで出かけなくなったことが理由としては大きいです。110ccのカブはツーリングには少々しんどいとわかったので。

 しかしそれ以外の街乗り用としては、このスーパーカブ110は本当に便利なバイクでした。その詳細はKindle本にしているので、興味ありましたら一読していただければと思います。

 当マガジンですが、もしかしたら削除するか、有料化にして実質封印するかもしれません。最近note内を整理しようかと思っているので。あるいはこのまま放置するかもですが。

 バイク関連記事もまた書いていくかは考え中ですが(バイクエッセイなんかは書きたいなとは思っています)、新車に買い替えたように、僕自身はバイクに乗り続けています。カブのおかげですっかりバイクライフが定着しました。ライフスタイルも「バイクで始めるミニマリスト生活」に書いたように快適になりました。

 これから何人の人があのカブを乗り継いでいくのかはわかりませんが、そのバイク生涯を終えるまで、元気に走り続けてくれたらなと思います。

 そんなカブに、そしてこのマガジンを1記事でも読んでいただいた方へ。
 4年間ありがとうございました。

灰音憲二

最後のカブとの旅は七ヶ浜でした。綺麗な夕日と海でした。


その分活字を取り込んで吐き出します。