お盆の語源について
お盆は「盂蘭盆」の略で、死後の苦しみの世界から先祖の霊を救う行事を「盂蘭盆会」という、と辞書にある。でも、盂蘭盆という言葉の意味は、わかっていないそうである。お盆の行事がこれだけ広くたくさん行われているのに、異なこととは思った。
しかし説はいくつもあるのだそうだ。
例えば、
1)サンスクリット語で「逆さ吊り」を意味する「ullambana」
2)イラン系ソグド人の言葉で「霊魂」を意味する「urvan」
3)サンスクリット語で「救済」を意味するの「ullumpana」
4)古代東イランの方言で「死者」を意味する「uravān」
5)サンスクリット語やパーリ語で「米飯」を意味する「odana」と食べものを盛る容器を意味する漢語の「盆」
近年の有力説は、この中で最も異質である(5)なのだそうだ。
私はこの説が腑に落ちて、モヤモヤが晴れた。
なぜモヤっていたかというと、例えば『岩波 仏教辞典』で「盂蘭盆」を引くと、まず(1)の説が述べられ、近年は(2)の説もある、とある。だが、盂蘭盆会を行う由来とされる『仏説盂蘭盆経』を読んでも、「逆さ吊り」(倒懸)を意味する語も話題もない。それに近いことも書かれていない。ソグド語の「霊魂」説も、少なくとも『仏説盂蘭盆経』では、盂蘭盆はそういう意味では使われていない。
(5)の説は、仏教学者の辛島静志先生が2013年に出された説だ。辛嶋先生によると、サンスクリット語の「daは、インドの口語ではしばしばlaと発音される」そうで、「盂蘭」は「odana(米飯)の口語形olanaの音写の可能性がある」ということである。
辞書で「odana」を調べると、M. Monier-Williams『A Sanskrit-English Dictionary』には「a ball of boiled rice」、A. A. Macdonell『A Practical Sanskrit Dictionary』には「boiled rice」とある。水野弘元氏『増補改訂 パーリ語辞典』は「飯、米飯、粥」とある。
そして、『仏説盂蘭盆経』には「以百味飲食安盂蘭盆中、施十方自恣僧…」(百味の飲食をもって盂蘭盆の中に安じて、十方自恣の僧に施して…)という部分があり、辛嶋先生はこう述べる。
「自恣」とは、サンスクリット語のpravāraṇāという言葉の訳だそうだ。お釈迦様は35歳で悟りを開いたあと、80歳で亡くなるまでずっと北インド中を旅したが、毎年、雨期の約3カ月間は一カ所にとどまって修行した。これを雨安居(夏安居)といい、その最終日である7月15日に「自恣」を行った。お釈迦様や弟子が集まり、忌憚なく罪を懺悔し合って反省する儀式だそうである。
「自恣の日に僧侶たちに施す」由来に関しては、『仏説盂蘭盆経』にこんな話がある。
お釈迦様の十大弟子の一人で、神通力に優れたため「神通第一」といわれた目連尊者が、その神通力で亡き母を見たところ、「餓鬼」の世界で苦しんでいた。食べ物も飲み物もなく、骨と皮ばかりに痩せている。目連尊者はさっそく鉢にご飯を盛りつけ、それを母のもとへ行った。お母さまはとても喜び、食べようとするのだが、ご飯は口に入れる前に燃えて炭になるばかりだったという。
目連尊者がこのことをお釈迦様に相談すると、お釈迦様は、自恣の日に僧侶たちに飲食物を布施して供養しなさい、その功徳(善行)でお母さんは救われる、と目連尊者に伝える。目連尊者はそのとおりにし、するとお釈迦様がいったとおりお母さんは救われた。
そしてこのお経の最後で、お釈迦様は弟子たちにこう説いている。
私はこのことから、菩提寺で以前いただいた曹洞宗の『禅の友』(2018年8月号)という小冊子で読んだ、ある体験記を思い出す。
「20年ほど前」とあるから1998年頃のことなのだと思う。その体験記の寄稿者である山形県松林寺の三部義道住職は、カンボジアのお盆「プチュン・バン」で供養を受けたという。
あるお寺に行くと、大勢の村人が弁当箱を持参している。そのお寺のご住職は三部師にも供養を受けるよう言い、また「目の前の食事には全て口をつけるように」とも言ったという。
三部師はこう記している。
こういうことを思うと、ただのご飯ではない、だから「odana/olana」を訳さず「盂蘭」と音写したのではないかとする辛嶋先生の見方には、やはり説得力を感じる。そして、翻訳という仕事の素晴らしさ、深さ、難しさの一面にあらためて触れられた思いがした。