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エッセイ どこかに行きたくて、どこにも行けない(ネコ大戦記2023 その6)

 もうすぐ今年の終わり、と言うことで今年1年の振り返りをしようかな、と思います。題して「ネコ大戦記2023」です。

 最後は公募活動の振り返りです。

 今年、一番嬉しかった公募の成果は、児童文学の専門誌「飛ぶ教室」作品公募の第62回第一次選考通過作に名前をのせていただいたことです。(田中へいた名義)

 当時、記事の書き方が悪くて誤解をなさった方が出てしまいました。申し訳ありません。「一次選考通過」なだけで、落選です。

 私が今までに一番「書く」作業をしていたのは大学生の時で、人形劇サークルの台本をひたすら書いていました。卒業が見えてきた頃に、サークル外の活動もしようかと思って応募したものが、同様に一次選考まで通していただけたことがあります。

 その後、色々あって、私はがむしゃらに働く会社員になりました。実際に血反吐を吐くような。家族のため、というのが主な理由です。
 ふと気がつくと、随分歳をとっていました。それで、なんというか、ただ働くだけ働いて、夢を叶えるどころか友人も伴侶も作ってこなかった自分は家の中で「期待はずれ」ということになりました。「誰もお前にそんなこと期待してなかった!」と声高に罵られるような。罵られて非常に驚きましたが、仕方がありません。私が人生を無意味に浪費してきたと評価をいただいても、全く取り返しようがないのです。

 時折、特に元気がない時に、「家族のために書くことを諦めなければ、もう少し『まし』だったかもしれない」と考えてしまうことがあります。
 けど、また大学生の頃と同じ雑誌の一次選考を通過して、「ああ、戻ってこれたんだ」って思ったんです。これでもう、ここから先の書き手としての自分への失望や挫折は全部自分のものだ。誰のせいでもないんだって。それがね、とても嬉しかったんですよね。自分の人生を誰かのせいで、なんて思いながら暮らすのは嫌ですし、本当に自分が情けなくなるんです。私はね。

 あと、今年はweb光文社文庫Yomeba!第21回ショートショート公募「家電」優秀作品(取り上げられる作品は「入選」なので、落選作ってことですね)

第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 

 の2つに選んでいただきました。

 こうしてnoteで公募の活動を書いているのは、公募の活動が孤独で(少なくとも私にとっては)ひたすら折れずに落ち続ける作業だからです。たまに見る情報は「誰かが入賞した」という情報ばかり。だから、ここに落ち続けている人がいるよ、という情報を発信し続ければ、おんなじような方が孤独にならなくて済むかもしれない、と思ったんですよね。「こうしたら文学賞に通ります」は通った人にしか書けないけれど、落ちても出し続けている人の記事は私にも書けます。収益性がないのをいいことに好き勝手書いている私のnoteですが、ずっと「誰かの役に立ってほしい」と、こっそり、思っているんです。

 そして、こうした活動をしているうちに「公募に通った」方達を多く見知るようになりました。遠くにいらっしゃいますけど、ひと方ひと方の輪郭が見えてくるというか個人として認識できるようになったというか。
 それで、今更すごく当たり前ですが、「通って、それで終わりじゃないんだな」というのも感じるようになりました。就職とか結婚とかにきっと似ているんだと思います。一瞬「おめでとう!」っていうことがあって、あとはまたずっと続くような。

 賞に通ったら、どこか遠くに行けるような気がしてしまうけれど、頑張ってゴールテープを切ったとしても、自分は相変わらずそこにいるだけなんですよね。

 来年もきっと、また、相変わらずお話を書いて過ごすと思います。本当にもう、仕方がないことにね、何かを書いているのが好きなんですよね。私はそれがずっとずっと嫌で、後ろめたくて、家族や職場の人や友人や、他の周りの、みんな、全部に本当に申し訳がないって思っていました。せめて仕事にでもできるほど上手なら良かったんだけど、できなくてね。かといって下手だからって辞め切って仕事だけすることもできなかった。諦めても折れても、結局続けてて、今も続けてるの。しょうがないね。
 できたら、どこかの公募に通ると嬉しいです。そうしたら、例えば、くぅさんが子供たちに朗読する時ちょっと自慢できたり、水上さんの朗読を聞きにくる方がほんの少し増えたり、星々の宣伝にも少しくらいは役に立ったりするかもしれない。いいなあ、と思う。そういうの。そうなったら嬉しい。

 1年間お疲れさまでした。きっとみんな頑張ったんだと思います。
 来年が、いい年になりますように。風邪なんかひいたりしないように、美味しいもの食べて、ゆっくり休んでくださいね。
 じゃあ、おやすみなさい。

エッセイ No.098