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ただの日記 #18 (2024.01.14〜2024.01.20)

みかんエイドの中身を無心で食べるねこの中の人のただの日記
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2024年01月14日(日)

コナー・マクファーソン「海をゆく者」を観る。国外のコメディを見るたびに、元々発表時はどのくらい観客が笑ったものなのだろうと思う。時々通り過ぎる「?」と思うシーンは元の笑いどころなのかなあ、と想像してしまう。どうしても、観る側が構えてしまうというか、なかなかリラックスして観られないところがある。アルコールと家族という問題が取り上げられていて(アイルランドの話だそうだから実生活の問題とリンクした上で、そこを見据えて生きていく笑いなのだろう)、結構しょっちゅう登場人物が大きな声を上げる。アルコールと暴力とは遠くない環境で育ったからそれがある程度リアルな表現であることはわかるけれど、自分より若い世代には、ただ「怖い」としか受け取らないかもしれないなとふと思う。職場でそうした話をよく聞くからだ。
「お前の人生がズタズタなのは、俺たちみんな知ってる。でも、元気だせ。生きてるんだから」(※うろ覚えです)というようなことを登場人物が言うシーンがあった。時折出会う、苦労人の先輩たちは、皆自分にそう言ってくれてきた気がする。私は頭でっかちだから、色々小難しい理屈を捏ねて拗ねてしまうけれど、それほど強くて、地に足がついたセリフもない。思想も理念も科学ですらも後付けで、目の前にあるものの、その実感だけを握りしめながら、前に進むしかないんだろう。

2024年01月15日(月)

「生まれ変わった?」と思うほどに朝から頭が軽い。なんだろうな、と考える。前日の夜に首をマッサージして寝たかららしい。首やら肩やら凝りすぎである。霧が一枚晴れたよう。今夜もやって寝るべきである。

2024年01月16日(火)

メモ帳をA4にする。それって果たしてメモ帳と言えるのか、ということは置いておいて、なんでもかんでも書いておくノートを思い切って大判にしたのだ。会社のデスクが狭いため、書くのに広げるのも一苦労で、正直上司の目が痛いが、広いノートに頭が真っ白になるまで思っていることを書き切ると体がすっと楽になるのを感じる。私の文章は何かの毒素なのかもしれない。自宅に戻ってからも、本を書き写したり、本の書写しを書き写したり、書き写した文章の構造をまた書き落としたりして過ごす。大学の論文も、サークルの台本も、仕事で書いたコラムも、みんなこうやって何度も何度も書き写して書き直して書いていた。本当は、呆れるほど非効率なことを繰り返さないと、私はなにも作ることができない人間だった。これからもきっとそうだ。ずっとそうだろう。思い出せて良かった。

2024年01月17日(水)

帰宅後、洗濯物を取り込み、米をとぎ、アイロンをかけて靴を磨いて、米の鍋に火を入れながら(私は鍋で米飯をしています。炊飯器を持っていないのです)別の鍋を磨く。家事が片付くのは気持ちがいい。ちゃんと生活できている自分に誇らしくなる。なかなかのもんだ。えっへん。

2024年01月18日(木)

みかんの輪切りを蜂蜜と砂糖とレモン汁に漬ける「みかんエイドのもと」を作る。毎年夏にお中元で蜂蜜を親族に贈っていて、同じものを自分にも一つ買う。それのあまりの蜂蜜である。疲れた日の夜にコーヒーに入れてちびちび飲んでいた瓶入り蜂蜜の、瓶のそこに溜まった蜂蜜の上にそのままみかんの輪切りと砂糖、レモンがないので柚子で代用する。これですっかり蜂蜜が使い切れる。冷蔵庫に入れて、一晩置く。楽しみ。

2024年01月19日(金)

帰宅早々昨日の蜂蜜を冷蔵庫から取り出す。水分は出たものの、思いの外「みかん」は「みかん」のままである。萎んだりはしていない。輪切りを一つ取り出して齧る。大変美味しい。ついつい二、三個取り出してはつまむ。あれ。これって、何作ってたんだっけと思う。冷蔵庫にまたしまう。明日の夜のデザートにしよう。おかしいな。飲み物を作っていたような気がしたけど。

2024年01月20日(土)

美容院に行き、次回は平日に予約をとる。一ヶ月のスケジュールの取り方を変えるつもりなのだ。今年はいくつか生活の仕方を見直そうと思う。毎年、ことあるごとに「いつか」と思っていたことがやれないまま「もう二度と」に変わってしまったのに気が付く。できるだけ、やりたいことはやろうと思う。まずは時間だ。少しずつ、使うのが上手になるといい。

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