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消費される勝利

東京五輪の女子サッカーグループリーグを終えて
※2021年7月27日にFacebookに投稿していたものの再録です。

これは「友達」のみで。
無音に近いテレビで、女子サッカーが先ほど準々決勝を決めました。
2戦目に敗れた後の公式SNSへのなかなかなご意見を見ながら改めて思ったことがあります。

2011年W杯王者、女子バロンドール輩出、2012年五輪銀メダル
この10年間、日本女子サッカーが置かれてきた環境や待遇は、それにふさわしかったのだろうか?

これはほかのスポーツにも言えることだけど。
(むしろ純然たるアマチュアスポーツの方にこそ言えるかも知れないけど)

彼女らや彼らが勝つ。
国民みんなが喜ぶ。
国民みんなで称賛する。
当然のことです。

ただ、では
「次もこの喜びを味わうために、もっと大きな喜びを味わうために、もっと頻繁にこの喜びを味わうために、国全体として、業界全体として、私個人として何をするべきなのか? 何ができるのか?」
という方向には、なかなか議論が向いていかないように感じます。

消費される勝利、という表現は言いすぎでしょうか?
金子達仁さんにこのことへの違和感(というか憤怒の感情)を提示されて以来、ずーーーーーーっと宿題として考えさせられています。
縮小しているとは言っても、世界屈指の経済大国ですやん、と。

こっから先は仮説ですが、長らく日本のスポーツにおいては一社提供に近いプロ野球や実業団スポーツ、甲子園や高校サッカーに代表される学校の部活動がもっとも注目される存在だったからじゃないか、という気がします。
(中略)
もし鹿児島ユナイテッドFCが成功できたら、それは「鹿児島の勝利だ」と表現するのに何一つ異論がないということです。

鹿児島の行政、企業、団体、報道機関、県民市民の皆さま、多くの鹿児島を愛する方々がユナイテッドFCの勝利を強く願い、温かく応援してくださっているから、ユナイテッドFCは鹿児島に在ることができるのです。

こういう文化を日本にもたらせたというところに、Jリーグの価値はあるんじゃないかって思いますがよ。
勝ちよりも大きいかも知れない価値という気すらしますがよ。
今回は提示に留めるということで、オチはないっす。

東京五輪を終えて
※ここから先は2021年7月30日にFacebookに投稿していたものの再録です。


「課題はたくさんありますけど、これが現実。これは素直に、悔しいけど認めて、次にぶつけて欲しい」

媒体によって微妙に澤さんの発言の意味合いが異なっているように感じるけれど、この箇所に尽きるんじゃないかなって思ったのでこちらを引用します。

現実を素直に認めること。
悔しいけれど、素直に認めること。
そこに尽きるんじゃないかな。
それさえできれば敗戦の克服と、次なる成功の5割は果たしたと言えるんじゃないかな。
言い換えれば、それだけ現実を認めるって難しいですから。

あいつが悪い、こいつが悪い、組織内外ともにそういう戦犯探しで終わるのが世の常ですし、敗因を正しく理解するなんて本当に本当に本当に本当に本当に難しいことです。

某「鐘の音」という自動車業界の超有名経営者がそんなこと言ってました。

でも女子サッカーの未来は大変な道のりが待っているとしても、明るいものであると信じています。
そして次なる成功をつかめた時、それは澤穂希さんたちの時代の成功よりも、より日本女子サッカー界ひいては日本スポーツ界にとって必然性があり、継続性のある成功であると信じています。
親戚業界の人間として、これからも陰ながら注目しています。

ということで、今回も「友達」のみで。
ごーん

※2021年8月1日に女子サッカーに関する記事で印象深いものについて感想をFacebookに投稿していたものの再録です。

・一競技の強化から普及まで、すべてを選手に背負わせるのは間違っている。
・勝とうが負けようが動じないスポーツ文化を作れば、その競技は勝てるようになる。
・アメリカの女子サッカーの競技人口は160万人と言われる。高校生は38万人だそうだ。日本は約1万人。

個人的にずっとなでしこジャパン周辺に感じていた違和感をきれいに説明してくれていた記事なので全力シェアします。
もちろん当の選手や現場スタッフが勝利のために力を尽くすのは当然のこととして、現場外の人間のするべきことを見失わないようにしないとなー。
ちなみに2番めの言葉は『サッカーを楽しむ心を育てて勝つ 京都精華学園高校のマネジメント術』の著書もある同校監督の越智健一郎さん、だそうです。


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