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認識分化論入門(07)

第七章 差別は恐怖から

第一節 認識の未分化が思いやりを欠かせる

 世の中には、さまざまな差別があります。

 差別はどこからやってくるのでしょう。

 まず、人々が、お互いにそれぞれ、まわりに対して充分に思いやりを持っていれば、差別など起こりようはずもありません。

 もし、世界中の人々の認識が充分に分化していれば、まわりにいる人々の状況や気持ちを、自分の中に明確に描くことができるはずです。

 それぞれの人が、お互いにきちんとしたコミュニケーションを取り合い、お互いのことを的確に認識したならば、おそらく、ほとんどの差別は、この世からなくせるのではないでしょうか。

第二節 老いへの恐怖

 性差別以外の差別は、ほとんどが恐怖からやってきます。

 若者は、なんとなく、大人や、大人の作る社会に、反感をいだきます。

 若者がすることは無条件に正しいと思い、若者が重要な役務につくことを、無条件に支持します。

 特に、老人が役職についていることに、理由もなく、害があると考えます。

 これらは、老いに対する恐怖からくるものです。

 自分がなりたくないものは、無条件に否定するものです。

 老いに対する恐怖が、年上のものに対する無意識の差別につながるのです。

 また、大人はわかってくれないと、思い込むのも若者の特徴の一つです。

 大人は、基本的に嫌悪するものであり、当然に、若者のことなどわかるはずがない、という思いにつながります。

 これも、老いに対する恐怖から生じるものです。

 また、年寄りは頭が固いに違いない、と無条件に思い込む傾向があります。

 老人は、新しいことを理解することもできず、若者たちの好むものなど、わかるはずがない、という考え方です。

 若者に、さまざまな能力や考えの人がいるように、老人にも、さまざまな考えや能力の人間がいるものです。

 しかし、若者の頭の中では、老人はいかにも老人が好みそうなものだけを好み、新しいものや若者が好みそうなものは、とうてい受け入れないだろう、ということになっているのです。

 これらの無理解も、基本的に、老いに対する恐怖から生じるといって、間違いないでしょう。

第三節 身体障害者・知的障害者

 子どものころ、学校の中や近所に、身体障害者や、知的障害者がいた場合、その人たちとつき合わないように、あるいは、その人たちに近づかないように、と言われた人はいないでしょうか。

 一般的に、身体障害者や知的障害者を、自分たちの生活の中に入れようとはしませんし、その人たちは、その人たちで、別の場所で、別の生活をしていてほしいと、願うものです。

 これは、もし自分がそのような立場だったらという、恐怖が基本にあるのです。

 自分がそのようであったら大変だ、あるいは、自分はそのようにはなりたくないという恐怖が、その人たちを遠ざけ、差別することにつながっていくのです。

第四節 黒人

 白人や、黄色人種にとって、自分の肌が黒かったら、と想像することは、恐怖です。

 できれば黒人は見たくないと思い、自分たちとは違う生活をしていてほしいと思います。

 バスの中で、同席することすら、嫌悪するのです。

 アメリカで、白人警官が何もしていない黒人を殺し、大統領がそれを非難しないのも、恐怖が基本にあるからなのです。

第五節 恐怖は未知から

 認識が充分に分化し、相手の立場や心がわかるようになれば、多少とも、恐怖はやわらいでくるはずです。

 何も知らないこと、知ろうともしないことが、無知と恐怖を助長します。

 認識を充分に分化させ、お互いのコミュニケーション能力を高め、少しでもわかり合うようになることで、差別は少しでもおさまってくるはずです。

 お互いの理解が深まり、わずかでも仲間意識がめばえたら、未来は、たとえわずかでも、明るくなります。

 もし、お互いに、ほんの少しでも、相手のことを好きだと思えるようになれば、ほんの少しだけ、われわれは前進することになるのでしょう。

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