ELLEGARDENを見た

私の青春、ELLEGARDENをこの目で見てきた。

出会いは中学校2年生の頃。
中学1年生の時にテレビ番組でSEKAI NO OWARIを見たのが、音楽を好きになったきっかけだった。お年玉や少ないお小遣いでCDや音楽誌を買い漁っていた。

その時、「SEKAI NO OWARIが載っているから」という理由で買った雑誌の表紙がONE OK ROCKで、そこから徐々にロックバンドを聞くようになっていった(カラオケの十八番が完全感覚Dreamerなのだが、歌うと毎回驚かれる)。

13歳の初夏、美術の時間中に友達と音楽の話になって、その子に「ワンオクが格好いいんだよ!」と言ったら「俺はこれがすき!」と勧められたのが、ELLEGARDENだった。

その時のその子のオススメが
・Salamander
・Space Sonic
・Alternative Plans

今思うとめちゃくちゃいい選曲だな、、

家に帰って3曲とも聞いた感想は
「へ〜なんかすごい」
これといってガツンと心臓を貫いた訳でも無ければ、涙が出る程感動した訳でもない。私からしたら知らない世界のどこか遠い音楽のように感じられた。でもこの音楽を格好いいと思える感性が格好いい!と思った。

最初は正直心の底から惹かれていた訳では無かった。しかし、この頃はなんでも吸収する。
石が転がっただけで面白いし、この世の全てが気に食わなかったし、世界は自分の手で変えられると思っていた。無敵だった。

無敵だからこそ、虚しかった。
何か縋り先が必要だった。
今思えば、なんでも良かったのかもしれないが、当時の私にとってその瞬間、それがELLEGARDENになった。

中高生の頃は授業中に教科書もノートも開かず、先生の話をまっぴら無視してELLEGARDENの歌詞の和訳をしていた。
英語の授業やテストが好きでは無いけれど、苦手では無かったひとつの理由かもしれない。

当時はYouTubeの規制も厳しくなく、今ではタップすることは幅かられるけれど、ライブ映像や音源がゴロゴロと転がっていた。言い訳になってしまうが、私の地元は大田舎でCDを買うのにも一苦労だった(そのうちタワーレコードオンラインのいう夢のようなシステムを見つけるが)。
CDのレンタルの仕方も知らなかった。
サブスクリプションサービスなんてものはまだ無かった時代。お金もない私は有難くYouTubeでELLEGARDENを聞き漁っていた(すみません)。

今ではまっさら消えているが、その頃は誰かが手間隙かけて編集してくれたであろうライブMV集もアップロードされていた。それを何度も何度も繰り返しみて「こういう大人になりたい」と憧れ「こういう事を言ってくれる大人がいるんだ」と言うことが、当時の私にとってはなによりも救いだった。

ELLEGARDENの曲からたくさんの英単語を知った。
細美さんのギターが「ギブソン」の「レスポール」というものらしいと知った。
ロックバンドのライブでは人がぎゅうぎゅう詰めにされて、その上を人が転がるものだということを知った。
ライブハウスはみんなの逃げ場所であることを知った。

この音楽がたくさんのことを教えてくれた。
細美さんは絶対に嘘をつかない。
絶対にライブハウスで見れる時が来る。

どうしようもない真っ暗闇を手探りでもがく様な毎日の中でも、「ELLEGARDENをこの目で見るまでは死んではいけない」と、思い直したことが何度あっただろうか。。

それが、その日が今日だった!
ずっと夢を見ているみたいだった!
まだ夢だったんじゃないかと思っている!
ずっとずっと私の憧れであり、救いだった人が、音が、目の前にある。
目に溜まる涙はグッと堪えて、その分たくさんたくさん笑いました!

秋の夕方、紅色に染まる大きな山を左手に、Missingを歌いながら自転車を漕いでいたあの日。
金星を大きな声で歌っていて「早くお風呂に入りなさい」と母に怒られたあの日。
何度も何度も英語と日本語を繰り返し見ながらNo.13を練習したあの日。
ネットに転がっているlonesomeの和訳を見比べ、自分なりの言葉に直してルーズリーフに書き殴ったあの日。
情報の授業で「自分のお気に入り」をPowerPointにまとめて発表する授業で、ELLEGARDENの素晴らしさをクラスに知らしめたあの日。
Ashを聞いて泣いたあの日。
初めてアコギを持って人前で歌う曲に、虹を選んだあの日。

私の青春であり、たくさんの人の青春を背負ったバンドの真ん中に立つ人が「もう一度燃え尽きたい」と言うことが、私たちにとってどれだけ心強く、どれだけ背中を押してくれることか。

あの頃の自分に、大丈夫だよって言ってあげたいし、私はまた今日から、生きていくのだと思いました!

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