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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・31

6.ウズベキスタン―2019年
  
 微魔女の旅コーデ 

 最終目的地、ヒヴァへの移動日。
 今夜は私だけ、ヒヴァの100キロほど北東にあるアヤズ・カラ(城塞)にあるキャンプサイトでヤート泊になっている。今日も朝8時出発でロングドライブらしいので、朝食は食べずに持ち帰りにして欲しいとホテルに頼むと、食べきれないほどのクレープやケーキ、果物を袋に入れて持たせてくれた。
 途中、3回ほどトイレ休憩を入れながら、午後3時過ぎにまずはキャンプサイトで私を下ろし、あとの3人はヒヴァに向かった。自分の希望でヤート泊をアレンジしてもらったとはいえ、毎日皆で一緒にいたのでなんとなく淋しい。
 キャンプ内には、事務所、ダイニングのほか、10棟くらいのヤートとキッチンの建物があり、ほかのツアー客がぞくぞく到着してきた。私のヤートは8帖ほどのツインベッドルームで、ベッドには今ではもう滅多に見ないような花柄模様のアクリル毛布が乗っている。電気はあるのだが暖房器具はなく、私の背丈ほどの入口のスイングドアには鍵がない。
 夕飯の時間まではテレビもなく一人でヒマなので、近くにそびえるアヤズ・カラまで散歩に行くことにした。城跡の上からの景色は見渡す限りの荒野で、聞こえるのは自身の呼吸と風の音だけ。この城砦の内で外で一体どんな人たちが戦い、どんなドラマあったのだろうか。随分と西に傾いた太陽を背に、オレンジ色に乾いた大地に映る自分の影に問いかけてみる。
 高台のサイトに戻りながら見下ろすと、ラクダが群れになって歩く姿がいかにも砂漠らしい。ここは中央アジア。星空がきれいだろうな。
 ヤートのなかは十分に暖かいのだが隙間風が入り込むので、太陽が沈むとかなり冷え込みそうだった。夕飯を食べたら熱いシャワーを浴びて、圧死しそうに分厚い掛け布団と電気敷布の間に速攻で飛び込もう、と思ってシャワーの下見に行ったものの、シャワーは水しか出ないそうなので浴びないことにした。そして浴室で“トイレに紙を流さないでください”と、日本語で書かれた注意書きを発見。日本人観光客も結構訪れるということなのだろう。
 7時の夕飯にダイニングのヤートに行くと、テーブルが二列に並んでいて、片方にはフランス人グループ、もう片方はアジア人と白人が床に座っていた。同じテーブルにはタイ人の看護師3人組のほか、スイス人の初老夫婦、自転車で東南アジアを縦断しているドイツ人カップル、そして日本人の二人組もいた。皆の話を総合すると、ウズベキスタンは外国に向けて観光客誘致に力を入れているようで、ドイツ人以外は航空券や旅行会社のプロモーションの特別価格で訪れたという。隣りのフランス人も一緒になってヨーロッパ勢を中心にウォッカの量も増えてきたようなので、付き合いきれずに自分のヤートに戻ることにした。
 外に出ると真冬のような寒さで、懐中電灯がないと真っ暗で足元も見えない。その分、仰いだ星空は宝石箱のようにきらきらと輝いていた。砂漠独特の冷気というのは一度経験すると病みつきになる。だから、ヨルダンのワディラムでも居たように、わざわざ寝具を屋外に出して寝る強者の気持ちが良くわかる。私も“微魔女が吹っ切れたら”ぜひとも試してみたい。きっと5ツ星ホテルを遥かに超える贅沢な夜だろう。
  
 翌朝も朝食を食べる間もなく、3人の待つヒヴァへ合流するために車が迎えに来た。
 台所で準備をするおばちゃんが、朝食代わりにサムサ(肉と玉ネギが入ったパイ)と果物、ビスケットを持たせてくれた。きっと、三世代家族経営のキャンプサイトなのだと思うが、英語が分かるのは母親と中学生くらいの息子だけで、昨夜、その息子と水のシャワーの話をしていたら、ここには水源がないから、毎週一回、トラックで水を汲みにいくのだと、大きなプラスチック製の樽を見せてくれた。私は贅沢な旅行どころか蛇口をひねれば水が出るという贅沢な生活もしているらしく、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 
 いよいよ最終日の旅程は、ヒヴァの内壁部分イチャン・カラ。パルヴァン・タルヴァザ(東門、別名奴隷の門)で車を下りると、3人がガイドの女性ナルギズと待っていた。
 「おはよう。ここで奴隷を売ってたのよ。キャンプはどうだった?」
 さすがジュリー、清々しい朝の挨拶だ。
 3人ともヤートに興味津々のようで、シャワーが水だったこと以外はとても良い経験になったと伝えた。てっきり最後の晩に皆で夕飯にでも出掛けたのかと思っていたら、ホテルに着いたのが6時近くで、元気に夕飯に出掛けたのはアミィだけだったらしい。
 「じゃあ、なかに行きましょう」
 ナルギズを先頭に歩き始めるとすぐ、ジュリーが囁いた。
 「モリーがね、今朝、ここに着くなり買い物したのよ」
 時計を見ると時間は午前10時。
 「何を買ったと思う?」
 180センチ近くある体躯をこごめて、アイメイクばっちりの目がのぞき込む。
 「コートよ! 600USドルのコート!」
 「たっかーい!でも、タシュケントからコートを探してたものね。見てみたい」
 身頃に毛皮の付いたロング丈で、今、お直しに出しているという。
 「すごいわよね。今回の旅行代よりお土産代の方が多いくらいよね」
 たしかに。荷物も持ちきれないほどに膨れ上がっていたし。私は空港で両替した現地通貨のスムがまだ残っているので、ここで使い果たさなくてはと思っているほどだ。
 城壁に囲まれたカラの内側には、廟やミナレット、メドレセ、宮殿、キャラバンサライといった史跡の前にお土産屋が並び、レストランやカフェもある。ナルギズの案内でひと通り見学してから午後6時まで自由行動になったので、それぞれが行きたいところに散らばっていった。と思ったら、カラの外にあるスーパーマーケットで全員が鉢合わせ。考えることは皆同じらしい。再びカラのなかに戻って、真面目に写真を撮ったり、家へのお土産を探したり、自分用にシルクのスカーフを探して歩いたりもした。用も済んだのでベンチに座って休んでいるとジュリーも歩いてきたので、一足早めにホテルに戻ることにした。
 ジュリーとモリーは仲が悪いわけでもなさそうなのだが、まるでタイプが違うので合わないだけなのだろう。見た感じはケンカをしているわけでもない。
 ホテルに戻るとモリーもアミィもすでに戻っていて、バーゲン帰りの主婦よろしく“戦利品”の見せっこが始まった。私は希望通りのシルクのスカーフが希望通りの値段で買えたのでかなり満足していた。白地にターコイズブルーの柄と、ピンクのポイントが入っている。
 「あら、いいわね。黒の服に合わせたら素敵よね」
 さすが、先輩微魔女のコメント。
 そう、今回、ひとつ気づいたのは、自分の旅の服装だった。
 私の旅行の服装は、基本的に速乾・軽量の機能性重視のアウトドア用品をパッキングするのであまりお洒落とはいえない。家のスーツケースには旅行用品と服が入っていて出掛けるときに気候に合わせて調整するだけなので、旅先の写真のなかの自分はいつも同じ服装をしている。最近はファストファッションのワンピースも便利なので数枚持つようにしている程度だ。それでも、海外で出会う西欧人のほとんどが、似たようなアウトドア系の服装なのであまり気にせずにいた。
 ところが今回、3人と行動を共にして、彼女たちがアクセサリーを含めてちゃんとお洒落をしていることに気づいた。ジュリーは洋服の色味に合わせて毎日スカーフとジュエリーを変えてしていたし、モリーもパンツスタイルではあったが、トップスはカーディガンやエルメスのスカーフをうまく組み合わせていた。アミィも毎日エスニック系でコーディネートして雰囲気がある。ほとんどが街歩きで車移動なので、微魔女世代としては、ひざ丈パンツにトレッキングシューズはもう微ミョーなコーデなのかな、と感じたのだ。
 
 
 

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