見出し画像

自分の中に心の故郷を。

あなたの哲学は?

そう質問されて、即答できる人はどのくらいいるんだろうか?
そもそも「哲学」という言葉そのものが小難しくて、その瞬間に自分の中のシャッターが閉じる音が聞こえる人もいるのではないかと思う。
(ちなみに、私がそのタイプ)

「私には私の哲学があるから大丈夫」

そんな言葉を初めて聞いたのは、かれこれ10年以上前。
就職活動をしていた時のことだった。

3児の母である私が今も尚、自分の就活のことを語るなんて、
何とも過去にぶら下がってる感
「あの頃の俺は、、」感が否めなくて、少し恥ずかしくもあるのも正直なところ。

でも、そんな恥ずかしさも棚に上げられるほど、この言葉は歳を重ねるごとに私の中に染み込んでいくのも事実なのだ。

私の人生を根底からじわりじわりと支えてくれていたこの言葉を放った方は、当時も今も素晴らしい経営者の方。
当時も子供を育てながら、社会の第一線で活躍されていた。

子どもがまだ小さかったこともあってか、周りからは色々なことを言われいたことも想像できる。
でも、それでも、社長として沢山の社員を抱えながら働いていけるのは
「私には私の哲学がある」からなのだと。

ハタチそこそこの私には、あまりにも難しく、当時の自分自身との距離を感じていたのを今でも覚えている。
でも、私はその言葉をずっとずっと忘れられなかった。

そして、子どもをもった今、その言葉がこの時の自分の為にあったのかと思えるくらいに、染み渡ってきているのだ。


昨日は、長女が学校をズル休みした。
ズル休みと言うと、本人は激怒するが、体調は悪くなかった。
ただ少し、心の調子が悪かった。

理由を聞いても聞いても、何となくそれっぽい、作られたような理由を並べる長女。
自分で自分がわからなくなっている様子が手に取るように分かった。
私もそんな時がよくあるからだ。

幼稚園の頃にも、行きたくないと泣くことが多い長女だった。
「ママお仕事へ行かないで!」と幼稚園の門の前で大号泣されて、こちらも泣きそうになったことも沢山ある。

「なんで分かってくれへんの?」
「ママのことも分かってよ!」

そんな風に思ったことも数えきれないくらいある。


でも、心の奥底ではなんとなく気付いていたこともある。


私には覚悟が足りていなかった。
決められていなかった。
自分の選択に自信も責任も持っていなかった。

子ども達を早朝保育や延長保育に預けてまでも、自分が働くということ。
「働く」という選択をすること。

ずっと迷っていたんだと思う。
これで良いのか?
間違っていたんじゃないか?

自分で選んだ道を、なにより、自分自身のことを全然信じてあげられていなかった。

自分を信じてあげられない状態ほど、辛い状態はない。

嫌でも自分とは離れられないのに、離れられない存在の自分をずっと信じられない、ずっと嫌いでいるのは本当に本当に辛い。


だからこそ、私達は、自分を信じてあげられる

「自分のための自分だけの哲学」

が必要なのだと思う。

哲学というと、難しく感じるけれど
それは大切にしたい考えや価値観、どんな風に生きていきたいのか。
ということ。

全ての人が本当は自分の中にあるものだ。

「自分にはそんなものない」
と感じる人は、言語化が出来てないだけ。


正解のない子育てをしていると、大きなことから小さなことまで迷うことなんて本当に沢山ある。
一つ解決したと思ったら、次から次へと問題や悩み事は山積みだ。

悩んだ時にこそ「自分の哲学に立ち返る」

自分の中に心の故郷を作るような感覚で
是非「自分の哲学」を見つけてほしい。


ちなみに昨日は長女のみならず末っ子までもが「保育園いや!」と訴えて泣いていた。
どうやら昨日は”そんな日”だったらしい。

問題が起こるたびに、大切なことを教えてくれる子どもってやっぱりすごい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?