鬱状態を炎天下に例えるならば-詩-

鬱状態の人間を
炎天下で歩いている人に例えるとすれば

炎天下の中
フラフラで歩いている人間に
自分はどうしたいと思うだろうか?

まぁ
多くの人は傘を差しだすなり
水や食料を分けてあげたいと思うかもしれない

実際にそうしているつもりでいるかもしれない

声をかけてくれただけでも
相手は嬉しいさ

だが
一番危ないと僕が思うのは

傘を差しだし
休ませてくれながら
言葉のナイフで刺される事さ
相手の傷つく言葉を投げかけながら
食糧や水を与える

正直
かなりされた方はかなりの苦痛さ

もちろん悪気がないのは分かっている
自分を助けようとしてくれた時点で悪意はないさ

だが
実際に僕は元気になり
自分の力で歩けるくらいに回復しただろうか?

いや
僕は誰かの傘に雨宿りするくらいなら
這ってでも自力で
水場にたどり着こうと思ってしまった

相手が自分の望まぬ言葉を投げかけて
相手に自分の生きる気力を奪われるくらいなら
自分で水場に行った方が楽に感じるさ

助けてくれるという希望から
やはり期待してはいけないのかという絶望に叩き落される時が一番つらい

特に相手に悪気が無い場合が一番しんどい

そして
好意に対して否定したらトラブルになる

なら
最初から傘に入らない方が楽に感じてしまう

言葉は3種類さ

生きる気力を与えるか
生きる気力を奪うか

時間が経てば忘れるのか

相手をよく観察すると分かるさ
喜んでいる時と
困惑している時の反応は違う

話すテンポや選ぶ言葉

知っている人間なら
変化は分かりやすいかもしれない

でも
知らない人間でも違和感には気づけるヒントがあるさ

それは
最初の反応さ
そこから相手を助けたいなら
観察して嫌がっていないかを見ないといけない

相手はボロボロなのだから
言い方を間違えたら
立ち直れない状態になるかもしれない

だから
出来るだけ相手を見よう

それが相手を助けるためのヒントになる

嫌がっていたなら
観察したらわかるさ

だから
僕にとって
言葉は簡単に吐き出せないし
疲れて頭が働かないなら関わるのは避けたい

会話はかなり労力のいる行為だ

だから
僕は他人と会話している時にリラックスして
寝る事はないんだ

それくらい
言葉を気にしてしまうんだ

僕は自分が言葉に過敏なのを知っているから
僕が後悔しないために
言葉を選ぶんだ

だが
僕は完璧ではない

気をつけていても
傷つけてしまう

でも気にするだけでも意味があるのさ

むしろ
気にしないよりは良いと僕は思う

言葉は相手を壊し
動けなくするモノだったり

逆に自分で歩き出す力になるモノだ

だが
全ての人にする気も必要はないさ

頑張っている人には何か出来る事はないかと考えるが
楽をした人は放置する

全ては相手を見たら分かるさ

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