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エンドレスポエトリー

[ネタバレ含みます]

公開 : 2016年5月14日
監督 : アレハンドロ・ホドロフスキー
ジャンル : ドラマ・ファンタジー

リアリティのダンスに続く続編。
現実では最後まで独裁的だった父を前作で改心させた部分をどう描くのか気になったが「結局何も変わらないじゃない」の一言で片付けられていてちょっと面白かった。
前作では父、今作はアレハンドロ監督本人を中心とした物語構成になっている。
お金に囚われてルールや思想にがんじがらめになっている父と、詩というものに出会えた事で世の中のしがらみから解放されたアレハンドロの対比が面白さを引き立たせていた。

生は赤、死は黒を意味している。特に赤は「ショッキングピンクに近い赤」に強いメッセージ性が込められており随所に散りばめられていた。色彩については撮影監督ともめたと書いてあったが、確かにこの色が浮かないように色彩設計していくのは至難の技だろう。
だがきっと監督はこの画面から弾け飛ぶような強烈な赤をどうしても使いたかったのだと思う。
「君が、詩が、僕の行く道を照らしてくれる──燃えさかる蝶のように。」
この燃えさかる蝶の色、眼球に張り付くような赤に監督はここまで導かれて来たのかもしれない。

言葉に人間は縛られて生きている。言葉はルールでしかない。
だがその言葉の魅力に監督は魅せられてしまった。
言葉を操る事で魂の解放を望んでいるなんてとんでもない矛盾だ。
その対極にあるものを調和させるために監督は行動して来たのだろう。
映画監督、漫画原作者、タロット占い師、サイコセラピスト様々な肩書のある監督だがその行き着く先はこの映画に隠されている気がした。

生きる事はとてもパワーのいる事で、全身に血を巡らせ続けないと簡単に死んでしまう。止まっていても体内の赤は動き続けなきゃいけない。
そして赤の隣には黒が付き纏っている。最後のカーニバルのように。

人は生まれた瞬間からルールの中での生活を強いられている。
服を着る、教育を受け言葉を習得しコミュニケーションを取る、お金を稼ぐ、道路の上を歩く、親の言うことを聞く…
これらは別に無くったって命を失う訳ではないし正解でもない。
無いと秩序が乱れるだけなのだ。
その誰が決めたか分からない秩序のために、私たちは多くの制約の中で、本来自由に燃えさかる赤を小さくなるべく小さくしながら他の炎と交わらないように生きている。
この映画はその締め付けていた透明なコルセットを取り去ってくれるような存在だった。

皆誰しも理不尽に怒られたりしたことは一回くらいあるだろう。周りの人を平気で傷つけるような横暴な態度を取る人に遭遇した事もあるだろう。ちょっとしたミスを10倍くらいの怒りのエネルギーで返してくる上司だっている。匿名だからとネット上で軽い気持ちで誹謗中傷する人も最近問題になってりる。日頃からそういう人に苦しめられている人は少なく無いのではないだろうか。
もしそういう人に出会ったら、ルールの中でしか生きる術を知らない人だと思えばいい。色んなものに縛られてしまって上手く自分の炎をコントロールできない人なのだと心の中で思っておけばいい。
どうせそれに気が付けない人はどんどんルールに縛られて自然と炎は小さくなり最後は自ら消えてしまうのだから。

前作は監督自らの過去を救うための救済の映画、今作は癒しの映画だと語っている。
あー、まさにそんな感じだなーとゆらゆらと、今、実感している。

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