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実存化数理論  Existential number theory    宇宙を知るには    To know the universe

 
  実存化数理論        宇宙を知るには  
Existential number theory   To know the universe

                        長野 治雄 

  まえがき 

 この実存化数理論は宇宙の真の姿を知るための理論である。
  もしこの理論が理解できないとするならば、宇宙の真の姿を知ることは
 決してできないと言える。
  また、この理論の根底を揺るがすような、反論または疑わしき事を見つ
 け出すことは決してできないであろう。
  なぜなら、この実存化数理論の本質は、次のように単純かつ明快である
 からである。
  「そのものはそのものである。」
  そのもの以外ではないと言うことである。
  もし、「そのものはそのものでない。」と否定するならば、この理論は
 成り立たないし、宇宙は宇宙としての存在に、その意味を持たないことに
 なる。
  人は経験上、そのものの形や量が周りからの作用によって、その都度、
 変化して違ってくることは当然で知っている。
  だが、何も作用しない極小の真空内のエネルギーが、「刻々とその量は
 大きく変動する。」とする考えを、人は受け入れるだろうか。
  受け入れた人がいたからビッグバン理論が生まれた。
  これを正しいとするならば、宇宙はいかなる条件を持ってしても、理想
 化された法則や保存則は成り立たないし、人の知る宇宙は存在しないと言
 える。
  人が知り得るすべての科学は何も意味を持たないことになる。
  実存化数理論の本質から逸脱している。
  架空の世界のできごとや、現実として起こりえない状況の変化も、現実
 として現れ、どのような形にも自由に変化する世界(宇宙)ができること
 になる。
  何もない所に突然何かが出現したり、消えたりしても日常茶飯事の出来
 事であり、不思議なことではないと感じて、疑うこともない世界となる。
  人が得意としている自然数的思考である因果関係なるものは、そこには
 存在しないし、始まりと終りとの関係も意味を持たない。
 これはまさしく相対関係のない究極化数の世界のこととなる。
 ここでは人は思考を停止した単なる実体のない物となる。
  フレッド・ホイル、トーマス・ゴールド、ヘルマン・ボンディらによる
 「宇宙は膨張しているが時間によって宇宙の構造は変化しない」と、定常
 宇宙の考えを唱えたが、その芯の考えは、一見、正しく思えるが、これは
 自然数的思考によるもので、ビッグバン理論と同様に必然的に考え付いた
 ものである。
  宇宙が加速膨張しているとするのは、星が互いに加速的に遠ざかってい
 ることが観測された結果である。
  実存化数理論による宇宙は、実存化数的思考から自然数的思考に切り替
 えたとき、ビッグバン理論を必要としない。
  さらに、加速膨張する原動力は先代時空によるものであり、後退時空が
 先代時空に偏っているからである。
  それは自然数的思考において定常宇宙であることが示される。
 
  アインシュタインのエネルギーと質量との関係式 E = MC^2 は
 エネルギーEと質量Mとが等式で繫がっているために、自然数的思考から
 、当然のように同一のものとして捉えてしまっている。
  等式が成り立つからといって、「そのものはそのものである。」とは限
 らない。
  この等式は便宜上の式であって、実存化数の等式としては成り立ってい
 ない。
  実存化数の等式が成り立って初めて「そのものはそのものである。」と
 言えるのである。
  実存化数理論の根底にある考え方は簡単にいうと次のように言える。
  算術1+2=3において、1と2とが足し算という関係によって、3
 という数に変化する。
  この算術は当たり前のように疑いもせず人は受け入れる。
  ここに1つのりんごが入っている籠と2つのりんごが入っている籠があ
 る。
  それらを一緒にすると、3つのりんごが入っている籠が1つあることに
 なる。
  この等式の左辺の1と2との間には、りんごを一緒にするという作用が
 そこにはある。
  だが、右辺の3には作用がなく、結果として、ただ3つのりんごが存在
 するだけであって,その数自体には相互作用する相手がいない。
  数学においては、この算術は抽象化されることから、算術はただ計算を
 して答えの数を出すだけでよいと、上記のような意味合いを必要としない
 と、多くの人は言う。
  だがこの抽象化が宇宙を考察するときに思わぬ問題を引き起こす。
  なぜなら、宇宙(科学)を考察する上において、抽象化によって得られ
 た数式には、何らかの科学的な意味合いが隠されているのではないかと感
 じて、それに意味を持たせることに、人は努力するからです。
  そして、その抽象化された数式は具象化される。
  そのとき往々にして具象化による矛盾が生じる。
  それを避けるためには、1+2=3 とする自然数的思考ではなくて、  
  1+2=1+2 となる考え方が、つまり実存化数的思考が必要となる
 のである。
  求められた数式が、過程において、実存化数の等式が成り立っていなけ
 ればならないということである。
  つまり「そのものはそのものである」ということである。
  この単純な事柄から実存化数理論はできている。
  実存化数的思考をもってして、宇宙を考察すれば、真の宇宙の姿がはっ
 きりと見えてくる。
  この実存化数の等式が成り立つことが宇宙の真の姿を示すことであり、
 実存化数理論こそが、宇宙の真実の姿を示す唯一無二の理論となる。
  だからと言って自然数的思考はだめだと言っている訳ではない。
  人は、自然数的思考によって、宇宙のすべての物事を理解しようとする
 からである。
  1+2=3=2+1 となるように、ある過程において一時的に利用さ
 れることで、制限された範囲内においては便宜上成り立つと考えても間違
 いではなく、ある概念の側面を端的に表すことができるからである。
  その例として、種々の保存則があげられる。
  だが制限を超える範囲では、まったく違ったものとなることに注意され
 なければならない。
  そこでは、保存則は成り立たない。
  さもないと究極化数の世界の中へ入り込んでしまう。
  その結果、有りもしない理論や法則が作られてしまうことになる。
  では、1+2=3 は実存化数の等式ではないが、実存化数的思考にお
 いて、その等式は成り立っていると言えるのであろうか。
  この等式は成り立っていると言える。
  だからと言って、そのものの存在を意味しているのではないことに注意
 しなければならない。
  3 を 2+1 に書き換えることで、実存化数の等式が成り立つ。
  このことから、等式が成り立つならば、実存化数の等式に書き換えるこ
 とができて、実存化数の等式は成り立つ。
  言い換えると、「 等式が成り立つことは、実存化数の等式が成り立つ
 ことである。」
  たとえば、√4=±2 は実存化数的思考において、等式は成り立って
 いると言えるであろうか。
  この等式は成り立っているとは言えない。
  なぜなら √4=±2 の両辺に2を掛けると、それぞれの右辺同士は
 、2✕2≠-2✕2 となり実存化数の等式が成り立たないからである。
  宇宙を考察するときは、実存化数の等式が成り立つことが必要不可欠で
 ある。
  例えば、ディラックによる陽電子(反粒子)・ビッグバン・ブラックホ
 ール・アインシュタイン方程式による時空の歪み・質量とエネルギーとの
 関係・量子力学における不確定性原理などを考察する時には、実存化数の
 等式が成り立っていることが必要不可欠である。
  それらは観測や実験などでそれらの信憑性を高めているが事実は違う。
 だが、実存化数理論は観測や実験結果に反することなく、すべてにおいて
 答えることができる理論である。
  なぜ星々が互いに加速的に遠ざかっているのか。
  なぜ宇宙背景放射があるのか。
  なぜ物質には引力が存在するのか。
  なぜ重力によって時空が歪められているように見えるのか。
  なぜ観測者において、光の速さが変化しないのか。
  なぜ原子核内の電子においてとびとびの軌道があるのか。
  なぜ素粒子は粒子性と波動性の二つの性質を持っているのか。
  ・・・・・
  などに、答えられる。
  また次のことも言える。
  今、あなたが見ている世界の中の私は、私が見ている世界の中の私では
 ない。
  逆に、私の世界のあなたは、あなたの知る世界のあなたではない。
  あなたの見ている世界は、私の見ている世界とは別のものであるという
 ことである。
  一見、世界(宇宙)はたくさん存在しているように考えるかもしれない
 が、それらの間には相対関係が存在しない。
  宇宙が唯一無二であることと、お互いの世界が相対的に無関係であるこ
 ととは矛盾しているかのように見えるが、相対関係なくして存在という概
 念はあり得ないため、実存化数理論によると、それぞれの世界は存在その
 ものにおいて矛盾はしない。
  私が死すれば私の知る宇宙そのものは無となり究極化数の世界となる。
  このことから、宇宙も実存化数の世界も広義の意味において、究極化数
 の世界であると言える。

  多くの者が、このことに対して反論や異論を持つであろうが、あえて私
 は言う。
  現代の科学の現状では、多くの科学者が自己の研究に邁進するあまり、
 既存の理論や法則の中に潜む根底を顧みずして、自らの理論や法則を守る
 ために、新しい理論や法則を作り出したり追い求めたりすることに躍起に
 なり過ぎている。
  そこには誤った考えが多々あることに知る必要がある・・・・・

  例えば、今日、宇宙はビッグバンによって生まれたとする考え方を疑い
 もせずに多くの者が信じ込んでいる。
  星が互いに遠ざかっていることを、観測によって知りえたことから、人
 の得意とする自然数的思考によって、必然的に過去においては一つの場所
 に宇宙の全てのものが集まっていたものと考え、このことからビッグバン
 理論が生まれた。
  ビッグバン以前は、人が知る宇宙はなくて時間も空間もない無の世界で
 あったと考えている。
  だが、何もない所の世界から宇宙が生まれるという考え方は、自然数的
 思考を得意とする人には受け難いものでありディレンマとなる。
  そこで、その無は人が考えているような何もない無ではないと考えて、
 過去にビッグバンが起きたとする前提によって、真空という小さな領域で
 あるとした。
  その数は無限であり、永遠の広さをもつ世界であると考えた。
  そして、その小さな真空の領域の中には、エネルギーなるものが存在し
 ているとした。
  その小さな真空ないのエネルギーの量は、量子力学的に変化しているも
 のと考えた。
  そのエネルギーの変化に対して、真空のエネルギーのゆらぎという言葉
 を付けビッグバンになる資格を与えた。
  ある時、資格を与えられた小さな一つの真空のエネルギーが、真空の壁
 を破るような大きなエネルギーとなったとした。
  そして、真空の壁を乗り越えるように飛び出した巨大なエネルギーが、
 ビッグバンとして広がり、時間と空間とを持つ人が知り得る宇宙が始まっ
 たと考えた。
  これで、宇宙におけるディレンマが一つうまく処理できたと思えた。
  互いに遠ざかっているからと言って、過去において全てが小さな真空と
 いう特別な一か所に集まっていたとするこのような考え方は本当に正しい
 のであろうか。
  一つの小さな真空がビッグバンを起こす確率は、非常に小さいとしてい
 るが、小さな真空の数は無限にあるとすると、ビッグバンの起こす小さな
 真空の数は無限大となるという矛盾がおきる。
  さらに、ビッグバン以前とビッグバン以後との時間の連続性について、
 その間の関係は切断されていて、相対関係がないことから実存化数的思考
 において、ビッグバン理論は受け入れられない考えとなる。
  また謎として、エネルギーというものが小さな真空の中で、どのような
 状態で存在しているというのか、それには触れていない。
  ただ、小さな真空の中に、エネルギーなるものが存在しているとしか、
 示されていない。
  力学的便宜上の概念であるエネルギーというものが本当に存在するのか
 、エネルギーについてのアインシュタインの次の式において、
  E = MC^2 
  エネルギーと質量の関係を表すこの等式は成り立っているが、実存化数
 の等式としては成り立っていない。
 エネルギーは質量つまり物体ではないということである。
  この等式が成り立つには実存化数に置き換えられる必要がある。
  E = E  、 MC^2 = MC^2 
  だが実存化数の等式が成り立ったからといって、エネルギーと物質とが
 同じものであると言うことではない。
  また、物体が力の作用によってそのものの動きが変化するとは、いった
 いどういうことなのか。
  そもそも物体が動くとはいったいどういうことなのか。
  「動くから動く」「そこには力が働いているからだ」と、日常の経験に
 よるその妥当性をもって、言ってしまえばそれで終わりかもしれない。
  いったい力とは何だと改めて問い直したときに、「動く」と「力」との
 関係はたまごが先かにわとりが先かとの問いと同じであり、ディレンマに
 落ちる。
  これも人の得意とする自然数的思考によるのである。
  例えば始まりもなく終りもない将棋倒しのごとく、「物が動くのは力が
 働くからだ」「力が働くとは物が動くからだ」等々・・・・・
  それらはすべて便宜上の概念として使われているに過ぎない。
  このようなディレンマの原因はどこにあるのか。
  それらすべてを包括する本質をはっきりと示さない限り、矛盾だらけの
 科学が究極化数の世界の中を独り歩きするだけである。
  あたかも存在するかのように、観測結果を独自の理論に当てはめようと
 する。
  その理論に同調する科学者の多さによって、その理論は正当化されて、
 疑うことさえできずに矛盾の世界の中に居続けている。
  真の宇宙の姿は究極化数の世界の中にあるのではなく、実存化数の世界
 の中にある。
  宇宙を知る上で数学は素晴らしい道具であるが、数学をもって宇宙を見
 る時には気を付けねばならない。
  さもないと矛盾だらけの究極化数の世界に入り込み、誤った宇宙像が生
 まれて、それが有るかのように語られて信じるようになる。
  それには究極化数の世界ではない、実存化数によって制約された数学の
 世界(実存化数の世界)で宇宙を考察する必要がある。
  余談ではあるが、数学におけるパラドックスの問のほとんどが、究極化
 数の世界では正しいが、実存化数の世界では正しくないと言える。
  このように「数学には二つの世界がある」ということである。
  実存化数理論は宇宙を考察する上で、唯一無二の理論である。


実存化数理論なくして、誰も知らない宇宙の本当の姿を
知ることができようか。
決してできない !
Without existential number theory, could you know the true shape of  
the universe that nobody knows?
 Never !


                          長野 治雄

 時間と空間の次元による宇宙


  「 ’偏見’を捨てなさい
    すべてにおいて’懐疑的’になりなさい
    強い’探究心’を持ち
    細心の’注意’を払いなさい 
    そうすればきっと正しい答えが見出せる 」               
              筆者からの助言 
    Throw away the'prejudice'
    Be 'skeptical' in everything
    Have a strong 'inquiry spirit'
    Pay close attention to
    Then you will surely find the correct answer
               Advice from the author
 
   
   「 知らないことは 決して恥でも無能でもない
     知ろうとして努力しないことが 恥であり無能である 」
                  筆者より
    "What you don't know is neither shame nor incompetence
    It is a shame and incompetence not to make an effort to know. "
               From the author  

   「 Ask, and it shall be given you ;
    seek, and ye shall find ;
     knock, and it shall be opened unto you ;  」
                   Matthew 7:7
   「 求めよ そうすれば 与えられるであろう
    捜せ そうすれば 見いだすであろう
    門をたたけ そうすれば あけてもらえるであろう 」
                   マタイによる福音書 7:7
                            (口語訳)


           五
         矢 口 隹
           王
         吾唯知ヲ呈ス    




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