ペルー・早大生事件で考える現代における『冒険』の現状 

 98年3月号

「いよいよ次は、もっとも獰猛で恐ろしい人間の世界です」(だったっけ?)

茂みの中から危険な猛獣たちが、ジャングルへの侵入者であるわれわれを狙っている。いや、それより、船頭さんは、マイク片手に乗客のガイドに忙しく、前も見ないで後ろ手に舵輪を回している。おっと、危ないじゃないか!?
 もちろん、おなじみディズニーランドのジャングルクルーズです。
 昨年末、筏でアマゾン川下りを企てた早稲田大学探検部の二人を待っていた危険は、ジャングルの猛獣や自然の脅威ではなく、冒頭のセリフ通り、人間でした。あざとい導入の仕方ではありますが、このセリフ、冒険家にとってはアフォリズム(箴言)を超え、真正面からの真実のようなのです。

 それは、元旦未明の浅草寺の賽銭箱前にも匹敵する人込み(明治神宮でもいいけど、行ったことないので)、左右から後ろから人波に押され、自由に歩けない状態でした。すると、足下でザワワカサカサ、ザワワカサカサと音がする。見てみると、ビニル袋が足にまとわりついている。「なんだなんだ」と足を振ってはぎとろうと気を取られた隙に、私の革ジャンのポケットに他人の手が伸びていました。
 これは、インカ帝国の首都、ペルー・クスコで、ある年の元旦の未明、町の中心のアルマス広場へまさしく初詣でに出かけたときの経験です。その腕をネジ上げて、日本語で「なにすんだ!」と怒鳴ると、その男ではなく、私の周りにいた三、四人の男たちが、スッと人込みの中を離れていく。どうやら、集団スリのようでした。幸い、被害はなかったので、深入りしないように、ネジ上げた男もすぐに解放してやったのですが、油断も隙もありゃしない。
 これがペルー、といったら怒られるか。それとも、東京だって一緒かな。
 現代の首都リマのセントロと呼ばれる旧市街。こちらは、ツアーバスで訪ねました。途中、ガイドが脅すこと脅すこと。「集団で歩いてください」「バッグは背中ではなく、腹に抱えてください」…。
 バスを降りると、さっそく来た来た。そりゃそうだ、団体で行動すれば、いかにも金満ニッポンの観光客であることがバレバレですから。私を担当してくれたのは、映画『ミツバチのささやき』のアナ・トレント

にも似たかわいい、でも、目に無邪気さのない七、八歳の薄汚れた女の子。私のセーターをスソをつかんで、少女とは思えない低いうなるような声で「パラ・コメール、パラ・コメール」(食うために…)と手を差し出す。
 どうも彼女は引っ込み思案のようで、それでも、彼女がひっついているので、ほかのもっとやり手の少年少女が”遠慮”して助かった。それでも、街中を歩いたわずか30分の間、ずっと「パラ・コメール」
 危なさというより、怨念めいたものが渦巻いているように感じました。
 これが、ペルー。こちらの感覚は現代の東京にはないかもしれない。
 そうそう、大使館占拠事件やJICA職員の誘拐事件もあったな。
 そんなペルーの北東部イキトスから東へ200キロ下流の寒村にある陸軍の航行監視所の兵士十数人が、ぐるみで早大生二人を襲ったようです。動機は、おそらく「パラ・コメール」の延長線上でしょうし、狙いはもちろん二人の懐の中。つまり、私が経験した右二題と同じということです。
 ところで、ペルーアマゾンは、非常に楽しい場所なんだって。リマに六年半駐在した友人の商社マンDくんによると、リゾートできる施設もあるんだそう。船がレールを走ってなくて、後ろ手では操縦できない正真正銘のジャングル・クルーズだってあるそうで、ペルーに移り住んで二十余年のガイド(が本職でもない)の
S氏も、「次に来たときはぜひ、アマゾンへ行きなさい」とお勧めされたっけ。
 とすると、早大生の遭難は、どう考えればいいのでしょう。

 

 

 

 

 クスコでは、さきのS氏の家を常宿にしていて、このコラムにも何度か登場してもらっている『グレートジャーニー』の関野吉晴さん

は、一橋大学探検部時代の最初の冒険が、アマゾン全流域の川下りでした。今回の事件については、「川で軍隊に殺されることは、予測不可能だし、防ぎようがない。今回の事故は特殊なケース」とコメント(『週刊文春』1月15日号)しています。
 冒険の大ベテランが言うことだから、トウシロの私が反論するのはおこがましい限りですが、でも、そうなんでしょうか。
 私の同僚記者Mくんが昨年、アメリカ・ジョージア州にゴルフの取材に出かけたときのことです。Mくん、決して海外経験が豊富な方ではない。空港からレンタカーを借りて、ゴルフ場そばに予約しておいたホテルに向かったが、飛行機が遅れていたこともあって、案の定、夜道で迷った。もう真夜中の田舎道で、いよいよ自分がどこにいるかも分からない。
 道端に車を停めて、地図と睨めっこしていると、スルスルと隣に別の車が寄ってきた。パトカーでした。
 「よかった!」
 Mくんは、そう思ったそうです。結局は、このパトカーに先導してもらい、コトなきを得たんですけど、パトカーを見たときの反応が「よかった!」でよかったんでしょうか。深南部のジョージア州の片田舎、時代が時代なら、パトカーの出現は相当に怖いシチュエーションではないかしらん。

 『ヨット界斜め読み』なのに、今のところ、レールを走るクルーズ船と筏しか登場させてないので、頭を絞ると、あったあった。いつものことですが、無理やり、ヨットを登場させます。
 ドロンズです。
 念のために説明しておくと、日本テレビの番組『進め!電波少年』で、一昨年末にチリ・プンタアレナスを出発して、ヒッチハイクで南北アメリカ大陸を縦断し、昨年大みそかにアラスカについた二人です。
 彼らは、コロンビアとパナマの国境を陸路で通過することができませんでした。パンアメリカン・ハイウエーもこの地域だけは通っていません。道なき沼地で、おまけに政府の威光も昼なお暗いジャングルのブラックホールに吸い込まれ、山賊の巣窟となっている。
『ドロンズ日記パート3魔境の中米編』で、かたわれの大島直也は、《地図を見ると、本当に道はない。そしてこの町(サンタフェ)を過ぎた所から、ジャングル中ゲリラがたくさんいて、行くと殺されるという。毎日、たくさんの人がゲリラに殺されているという》と書いている。
 そこで、警察にパナマにわたる方法を尋ねると、《一回メデジーンに帰り、コロンビアの上の方のカルタヘーナに行き、飛行機か船しか方法は無い》(今度は石本武士の日記から)というわけで、彼らはカルタヘナのマリーナでヨットをヒッチハイクするのでした。 ちなみに、前にちょびっと紹介した小説『霊柩車に乗って』では、逆の南行ですが、やっぱり、この地域を避けて霊柩車を船に積んで海路カルタヘナへ上陸して、しのいでいます。そういえば、ドロンズの前任者?の猿岩石も、ビルマなど一部の危険地帯を、飛行機を使って乗り切ったことがバレて、話題になりましたね。この危険地帯も、貧困と麻薬が隣接する反政府ゲリラの根拠地のジャングルでした。
 関野さん「グレートジャーニー」は、ここでも、カヌーやなにやらを持ち出したあげく、結局、歩いて通り抜けました。この人のルールは「人力に限る」ですから。でも、テレビ放送を見てて、通過し終えたときは、相当に安堵した様子でした。泥沼のジャングルの苦労を終えたからではないのは、もちろんでしょう。


 今回はほとんど海にまつわる話題がありませんでした。現代の海にも海賊がいるんでしょうけど、おそらくは、カリブやマラッカなど、生活の海の周辺に違いない。無寄港世界一周やヴォンデグローブ・レースなどの冒険海域とは無縁かもしれない。物盗りするにしても、あまり効率がいいとは思えませんからね。でも、今回、陸の話ばかり書いたおわびに、機会があれば、海賊話も調べてみたいところです。
 さて、殺された早大生の冒険が、無謀であったかどうかの検証は、早大探検部自身が行うでしょう。ただ、橋龍首相が出したコメント、「冒険というのは危険があり、その危険は準備して最小限にとどめる必要がある。十分に準備ができていたのか。冒険好きの僕からみると疑問に思う」は、明らかに形容矛盾じゃないかな。

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