「畑」

畑をやっているなんて人に言えるほど年季が入っていないし、
勉強もしていない。打率はいつも5割といったところ。
都心から来た友人には「自給自足だね」なんて、冗談交じりに言われるが、
そんなほぼ野生状態に生きるなんて、トイレットペーパー依存症の自分には絶対に無理だと思う。

なぜ自分が畑をやるのかと考えると、きっと自分にとって畑や野良仕事は絵日記のようなもので、
過去の出来事を、その時々の天候とともに思い出すくらいの役割で、
別に、自分の生活になくてはならないものというわけではない。
ただ、畑や軒先にあるプランターはいつも公開されているので、
秘密の日記というよりは、ブログのようなものなのかもしれない。

たまに、畑に出て草取りをしていると、近所のおばあちゃんと畑に関する会話をしたり、
ちょっとしたワザやコツを教えてもらったり、ときにはお裾分けをもらったりもする。
共通の趣味は共通の話題になるように、田舎だとまずは天気の話をして、次に畑の話になるように思う。

それにしても、ご近所のおばあちゃんがまるで自動掃除機のように、毎日まめに草取りをする姿は、
なんだか敬虔というあまり使ったことのない言葉すら想い起こさせる。
ふと、オリジナリティというものは、昨日今日の突飛な思いつきではなく、
それはこういったオリジンのある営みの方にあるように思う。

自由に服装を選んで楽しんでいるいるようで、
ファミリーレストランのメニューを選ぶように、
TPOとは関係のない、大人達の都合に沿っているだけのように思う。
自分が明日欲しいと思う物は自分の頭の中にはなく、次に見た広告の中にあるのかもしれない。
そう考えると、はたして自分には確固たる個人の自由や夢や主義というものを持てるのかとすら思ってしまう。

そんな具合だから、今日も自分はアマゾンが届くのを心待ちにしている。