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坂本龍一さんの「TIME」に至る「津波ピアノ」のアートから思うこと。「地球の動きのデータ」を震災で被災したピアノで演奏するとは。

先日の坂本龍一さんが残したメッセージ「TIME」の舞台について。


その日の午後、落合陽一さんが「X」でポストした内容と、坂本龍一さんのピアノのアートとが、私の中で「リンク」したので、少し書いてみます。

*[ギルティ(Guilty)とは、有罪の;罪を犯した,過ちを犯した]


先日のニュースでは、坂本龍一さんが「TIME」に至るきっかけも紹介されました。

それは東北の大震災で浸水した「津波ピアノ」を復活させて演奏するというプロジェクトのこと。

このピアノを使って行った演奏は「地球の動きのデータを使って演奏する」という実験。

坂本龍一さんは、次のように話してました。

(この方法なら)ピアノは終わりもなく永遠に演奏するということができる。
時間の概念を取り払う、新たな表現方法だった。

僕らが生きている時間のなかでずっとやっていても、始まりに戻ることがない音楽。

どこまでやってもいい。どこから聞いてもいい。どこまでやっても最初に戻るところがない。同じところがない。
それは(こういう表現は)本当にインスタレーション(展示)でこそ実現できる。

この取り組みを発展したのが「TIME」。
パフォーマンスを舞台に取り入れよう。
声を掛けたダンサーが、田中泯。即興の踊り。

坂本龍一


その日の午後、先ほどの落合さんのポストを見て、坂本龍一さんの「地球の動きのデータを演奏する」というアート表現と、落合さんのアートに対するこの「悲しみ」には何か「つながるもの」があるような気がしたのです。


このポストでは、

「その素晴らしさが多毛作される場合もあるし,収穫前提の世界は悲しみが深い.」

とあるのです。
言葉の説明として、
日本なら「二毛作」は、同じ田畑で米を作り、冬場は麦を蒔く。
収穫時期の異なる作物を、同じ場所で収穫すること。

同じ地で繰り返される「収穫前提の世界」とは。

「繰り返される収穫」が、お米と麦ならいいですけど・・・。

「植民地二毛作」,「軍事二毛作」の作品が「多毛作」されるアートって何?


そして坂本龍一さんが、震災したピアノで、「地球の動きのデータ」を使った演奏実験は、

「終わりもなく永遠に演奏するということができる。

どこまでやってもいい。どこから聞いてもいい。どこまでやっても最初に戻るところがない。同じところがない。」

ただ自然とともに、そこにいつまでも存在しているアート。
自然の一部。

落合さんがここで見ているアートが、私にはどのような由来のものかは解かってません。

でも「収穫前提の世界は悲しみが深い.」という言葉の中に、私は今の世界の深い悲しみを思わされるのです。

やるせない・・・。


2024/4/25 落合さんの感想がnoteになってたので追記。



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