見出し画像

生成AIの課題は。なめらかな社会の実現に必要なこととは。



始め、落合さんが「AIはなめらかですか」と質問したとき、私の脳は「?」と反応した。
私のイメージの鈴木さんの「なめらかな社会」の「なめらか」に今のAIが繋がらなかったから?
「なめらかな社会」を新しいブロックチェーン技術などを使って実現できる可能性が出てきたとして、AIはそのシステムに寄与するの?とか、AIは、人間の複雑さを「より複雑」にするの?とか、それとも少し長い目で見ると、人間を均質化するのか、それとも二極化するのか・・・とか。

スミマセン。

今日の文章は、私の頭の中に湧いて出ているイメージや疑問を、つたない私の表現で言語化しているだけなので、意味不明だと思います。

でもとりあえず言語化しておきたい。

そもそもこの動画の内容もすごく概念的で、鈴木さんや落合さんの本を読んでいたとしても・・・。

でも今この二人の話を聴いていて今私の頭に浮かぶ言葉で要約すると。

落合陽一さんは、
「人間を含む全ての自然はデジタルなので、『なめらか』という言葉を
人間の各個人の違いの差分は『戒名』くらいしかないと表現して、差分が小さいから『なめらか』なんですかね。」
という表現をして鈴木氏に尋ねる。

鈴木氏の「なめらか」は「『なめらか』になるにはどういうシステムが必要か」ということを問うていると思う。
「社会の複雑さ」や「個人」も、落合氏の考え方なら人間をひとくくりにして、客観視して、データ的(脳内をそう例えて)に差分を求めれば小さくても、鈴木氏の言うように、個人は主観的に感じている訳で、「気持ちがいいか、悪いか」というようなことは、人が生きる上で大きいこと。

なので、「なめらか」な社会を実現するために、つまり、複雑さを複雑なまま受け入れ、人間らしく生きやすい社会にするには新しい技術を使って「なめらか」になるシステムを再構築すればという提案だと思う。

今回の対談では、私は落合さん自身デジタルネイチャー的な視点からLLMのAIを使った感想と、今後こういうことが起きる?みたいなことを話しているので、「マタギドライブ」的な視点は「おいといて」の話となっているように私には思えた。


AIの進化を受けて、AIを利用した思索の仕方や、生活への取り入れ方は、今後しばらく人それぞれで大きな違いがありそうです。

個人間の「脳内データとしての差分?」は小さいかもしれないけど、鈴木氏の言うのは、人それぞれ、考え方、体力、理解の違いなどは複雑で多様なので、たとえば「楽しい」と思うことがAIの進化でなおさら個人に差が出来そうな気もする中、そういう「個々人の違い」や「社会の複雑さ」をなめらかにしようという、もう一つ上の概念が「なめらかな社会」というイメージ。

つまり今回の二人の話のレイヤーが微妙に違っているように思った。

AIの進化で、今まで以上に多様な概念を持つ人が増えるのか、それとも収束するのか。

多様性をそのまま社会システムに取り入れるのが「なめらかな社会」。
(と、今の私は思っています)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?